「菩薩の大悲心なるものは、絶対で無限で無目的的であるが、それはただ抽象的に概念的に一般的にしかいわれるのでなくて、一事一物の上に時間的に空間的に最も具体的に動くということであります。これは科学や合理主義や自然主義や人間主義で片付けられる問題でなくて、『超自然主義』まで突進して行かないと解決がつきません」p114
鈴木大拙『仏教の大意』(法蔵館, 1947)
戦後すぐに大拙が天皇陛下に行った講話をまとめたのが本著。大智と大悲の二章に分かれていて、大智の教えである禅と、大悲の教えである浄土とは何かが簡潔にまとめられている。
大智は論理を越えた本質的な禅の世界観を提示する。しかし、ともすれば抽象的な議論に陥り、現実離れした空論で終わる。大智を補うのが大悲の視点である。
大悲は、あくまで行動に裏付けられる。しかしそれは合理主義や人間主義に基づく行動ではない。または人間以外の自然や地球環境をふくめた自然主義にも基づかないという。
目的も無くて、時間も空間も超越した行動。たかだか一人の人間の寿命に限られない、一人の人間による超自然主義による行動。それが大悲だという。もちろん、超自然といっても超自然現象をさすわけではなくて、人間と自然を区切ってしまう考えを超えるということだ。
1947年という時期。戦時中の非合理な思想に反省が加えられる中で、2008年の思想すらも軽々超えてしまう発想。そうした境地に大拙が達した分けが知りたい。
□参考ウェブサイト
『慈悲』

