2009年02月18日

839旅 井筒俊彦『語学開眼』★★★★★

「物を見る、そのたびに必ず単複を区別しなければ口がきけない。そんな妙な言葉を幼い時から話してきた連中の心の働きは、よほど変わっているに相違ない。我々日本人とは、微妙に、しかし根本的に変わった仕方で彼らは世界を経験し、違う形でものを考えているのに相違ない。(略)家に帰りついた時、私は興奮しきっていた。世界中の言語を一つ残らずものにしてやろう、などというとんでもない想念が心のなかを駆けめぐった」p179
井筒俊彦『語学開眼』(「三田文学」2009冬季号, 三田文学会, 2009)

 身体が情報を得て0.5秒後に、ようやく頭はそのことを認識するという。であるならば、井筒先生の文章は、私の身体に直接何かを届けている。理由が分からないが、先生の文章を読むと、つねに血が騒ぐからだ。
 三田文学の今の号が、井筒俊彦特集である。四人の方の評論を読み、井筒先生がまだ"生きている"ことが分かり、私淑している自分として今年一番の嬉しい一冊となった。若松英輔氏の文章は、井筒先生に似た何かを特に感じさせた。
 とはいえ、井筒先生の文章がBestであった。しかも井筒先生が言語に目覚めた瞬間のエッセイがあったのだ。

.


 意外にも先生は英語が嫌いであったという。しかし、英語教師に「There is an apple.」と「There are apples」の違いを問われ、いずれも「リンゴがあります」と考えてしまったことから悟りを得たという。
 英語と日本語とで、使う文字や発音が違うのではない。世界の経験の仕方、思考の仕方そのものが全く異なっている可能性を直感したのだ。
 つまり、我々がふと「リンゴがあります」と言える認識を、英語を使う人々はけして持つことができない。彼らは「一つのリンゴがあります」あるいは「複数のリンゴがあります」としか理解できず、どちらでもない「リンゴがあります」と考えることは英語を用いる以上、永遠にできないことなのだ。

□編集後記
アダムは知恵を、ウィリアムテルは勇気を、ニュートンは物理法則を、リンゴから得た。この伝統に、井筒俊彦のリンゴを加えたい。彼はリンゴから言葉を、そして世界を得たのだ。

posted by 藤沢烈 at 22:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
編集後記、なかなか名言ですね。
Posted by 木戸寛孝 at 2009年02月18日 23:32
有難うございます。井筒先生の発端もリンゴにあった、というのが素晴らしい逸話ですね。
Posted by 烈 at 2009年02月19日 19:50
藤沢様 若松英輔です。拙作お読みくださいましたご様子、感謝申し上げます。「三田文学」次号から、井筒俊彦論を連載致します。
また、ご意見をお聞かせ下さい。HPアドレスは当方の会社です。藤沢様も事業家とお見受けしました。ご存じのとおり、井筒先生のお父様も事業家でした。先生にも、その血は強く流れています。お求めいただいた前号に、「小林秀雄と井筒俊彦」を書きました。
お時間があればお目通しくださいましたら、幸甚です。
Posted by 若松英輔 at 2009年02月19日 22:21
若松様

今号の中で、若松様の『井筒俊彦−東洋へのイチネラリウム』に大変感銘を受けまして、早速前号も取り寄せている所です。
私が井筒先生を知ってからほんの一年程度。先生の深みをまだまだ読めてはいませんが、少しずつ理解を広げたいと思っています。いろいろと教えて頂ければと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。藤沢(仕事は経営コンサルタントです)
Posted by 烈 at 2009年02月19日 22:41
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック