2009年04月27日

981旅 フランクル『それでも人生にイエスと言う』★★★★★

「未来が無いように思われても、怖くはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ち受けているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです」p28
フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社, 1993)

★本の概要
 ナチスドイツによる強制収容所での体験を綴った『夜と霧』で著名なのが、フランクル。収容所から生還した翌年の三つの講演をまとめたのが本著だ。

★人生が、私を動かす
 久々にヒットだ。この本の言葉は、これからも繰り返し繰り返しかみしめるような、そんな予感がする。
 フランクルは、「人生とは何か?」に対して、一つの考えを提示する。
 過酷な状況になると、「自分の人生にはもうなにも期待できない」と考えがちだという。強制収容所でも、そうした人は残念ながらすぐに命を落としていった。一方で、同じ状況でいながら、生きながらえる人もいたそうだ。そうした人は『私は、人生になにを期待できるか』とは考えなかった。『人生は、私になにを期待しているか』と考えたのだという。
 「自分」の意味が違うのだ。この頭と体のみを自分と捉えると、感じる環境の中で苦しむ。そうではなく、世界すべてを自分と捉えれば、この肉体がおかれている意味を問い直すことができる。そのことを、フランクルは極限状況で気づく。

★極限まで、価値と意味がある
 フランクルの考察は続く。ではこの肉体が生きる意味とは何か。
 元気に仕事ができるならば、「創造」という価値を生じさせることができる。仕事が無意味だとしても、余暇さえあれば、この世の中の芸術や愛を「体験」することでの価値を生み出せる。もしも病で体が不自由な状況に陥っていても、周囲を思いやるなどといった「態度」による価値を生じさせることができる。
 生きている限り、いかなる苦境にあったとしても、価値と意味がある。死の極限までも。フランクルの言葉は、自分の生き方に対して、一筋の光を差し込んだ。

★編集後記
 久々に朝から晩までずっと仕事。全然別の内容だったけれど、まさに自分が世界に試されているような、一本の糸で貫かれているような、そんな感覚がある。

posted by 藤沢烈 at 22:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
I agree!
Posted by hiro at 2009年04月28日 00:43
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