2012年02月27日

1423旅 西尾勝『地方分権改革』★★★★

「日本の行政システムを先進諸国並みのグローバル水準に近づけようとすれば、何よりも重要なことは、行政サービス提供業務をこれまで以上に国から自治体へ委譲することではなく、すでに自治体の事務事業とされている行政サービス提供業務に対する実質的な決定権を自治体に委譲することなのである。いいかえれば、集権的分散システムを分権的分散システムの方向に向けて移行させていくことなのである」p9
「『昭和の町村合併』では、義務教育年限を六年から九年に延長したことに伴う新制中学校の市町村による整備を効率化することを主たる目的にして、最小の村でも人口8000人以上にすることを目標に進められ、一万弱を数えていた市町村総数を約三分の一の3300有余にまで削減した」p17
「都道府県は、市町村とは違って、国会がその旨を定めた法律を制定しさえすれば、いつでも国会の一方的な意思によって廃止されるかもしれない存在であり、あるいは国会の一方的な意思によって合併を強制されるかもしれない存在なのである」p145
「戦後になると、様々な機関や団体から種々の道州制構想が繰り返し提唱されてきた。いずれも道州制という共通の呼称を用いながら、その制度の設計はすべて異なっていた。(略)道州制構想に賛成ですか反対ですかと問われても、およそ誰にも答えようのない質問なのである」p151

■概要
 機関委任事務制度を廃止に導いた地方分権一括法制定(1999年)により、日本の統治のあり方が根底からひっくり返ったといわれる。これをリードした西尾勝氏本人による、地方分権改革の全体像と課題を整理した一冊。90〜00年代にかけて、地方分権と政治改革の二つが交錯しながら、日本の国家像が変化する様がよく理解できた。小泉旋風、市町村合併、政権交代、道州制、震災復興そして橋下大阪都構想に至る動きが、地方分権の流れに延長線に描けることがわかる。

■日本における分権とは
  国ではなく地方自治体が、既に行政サービスを担っている。しかし実施の決定権と金(=税)は国が握り続けてきた。決定を地方に任せはじめた先駆けが、機関委任事務制度の廃止である。また金を地方に流し始めたのが、補助金と交付金を減らし税源移譲を進めた三位一体改革となる。
 そうした動きと並行し、平成の市町村合併が進んだ。昭和の合併は中学校整備が目的であったが、平成のそれは地方分権の流れとも関係する。サービスを担うためにも行政単位を広げておかねばならないからだ。また財政難のために地方交付税が減額し続けていることも関係している。

■道州制
 橋下大阪市長の誕生により、道州制の議論が再び強まっている。一口に道州制といっても、国が地方をコントロールするのが目的であったり、逆に地方自治体の範囲を広くするのが目的であったり、様々だ。事務権限、税財源などを整理しないと、道州制の性質が全く異なることが理解できた。ちなみに橋下市長の構想は、単一主権国家から、連邦制国家への移行をイメージしているように思われる。過去の地方制度調査会はそうした可能性は、歴史的・社会的に考えにくいと却下しているそうだ。これからの道州制の議論が興味深い。


posted by 藤沢烈 at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。