2012年05月03日

1960年代から現代にかけての、地域コミュニティ政策の歴史。〜『地域コミュニティ最前線』(1459旅)

 高齢化、経済悪化の中、地域の将来に不安を感じている人は、63%にものぼるそうです(日本世論調査会, 2009)。行政機能がますます縮小する昨今、地域コミュニティが果たす役割は増していく一方です。震災復興でも、防潮堤や道路などのハード整備が進む中、地域コミュニティが再生されるかが、復興のスピードに大きく影響を与えます。地域コミュニティ論の専門家が執筆した『地域コミュニティ最前線』(中田・山崎、2011)より、先端的な事例を紹介したいと思います。
 個別事例に入る前に、今回のエントリーでは国内における地域コミュニティの歴史をおさらいしておきましょう。次回エントリーで個別事例を扱います。中田・山崎は、大きく3つの段階に流れを区分しています。

■1 地域コミュニティ概念の成立と形成(1960年代〜80年代前半)
 日本のコミュニティ政策の原点として、国民生活審議会が『コミュニティ』報告を1969年に発表しています(http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/32.pdf )。都市化によるコミュニティ構築と、コミュニティ行政強化の必要性を訴えた内容でした。
 この内容を受けて、71年〜73年には、小学校区単位で全国に83のモデル地区が指定されています。しかしコミュニティセンターという箱物中心の施策に留まっていました。

■2 地域コミュニティの位置づけの弱まり(1980年代後半〜90年代後半)
 90年代初頭まではバブル景気もあり、再び国内はインフラ整備・都市再開発に傾いていきます。住民の繋がりも再び希薄化していきます。1990-92年の三カ年では141箇所のコミュニティ活性化地区がつくられて、環境重視、商店街活性化を盛り込んだまちづくり計画の策定が図られました。
 95年の阪神大震災は、コミュニティ施策に強く影響を与えました。この年がボランティア元年と名付けられたこともあり、行政支援はNPOに傾いていきます。そのために地域コミュニティの位置づけは弱まることになりました。
 余談ですが、復興庁にも「ボランティア班」はあるが「地域コミュニティ班」はないわけで、こうした流れの影響は今も続いていると言えます。NPOと地域コミュニティが分断されているのは、何より被災地域にとって不幸なことです。NPOは地域を支える存在になる必要があります。

■3 地域分権時代のコミュニティ政策(2000年以降)
 歴史に戻ります。2000年には、地方分権一括法が施行されます。その流れの中で、自治基本条例によって地域自治組織が設置。そこに意見表明権や地域予算提案権を認めていく、分権型の地域政策が進められることになります。その後、総務省は2009年に「新しいコミュニティのあり方に関する研究会報告書」をまとめています。ここでは地域自治のコンセプトをおさえながら、NPO、事業所など多様なプレイヤーを巻き込む「地域協働体」という仕組みを提唱しています(ポイント版はこちら→ http://www.soumu.go.jp/main_content/000037077.pdf )。
 住民主体による自主施策と、行政による公共政策(環境、福祉、農業、施設・・)。この二つを総合したものが地域におけるコミュニティ政策となります。震災復興でも同じ構造にあります。今は行政による復興計画がリードしていますが、住民自身が一つになって、自主的なコミュニティ復興計画を作り上げていく必要があるわけです。NPOは住民の情報発信や資金調達を支える存在になる必要があります。
 本エントリはここまで。次回は事例紹介を致します。(5月3日)

■本日の一冊
中田実・山崎丈夫『地域コミュニティ最前線』(2010, 自治体研究社)★★★★(1459旅)


posted by 藤沢烈 at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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