2012年05月05日

飯舘村の過去と現在(その2)

 前回エントリ『飯舘村の現在と過去(その1)』 http://retz.seesaa.net/article/268617902.html では飯舘村が、まちづくりの観点で日本有数の村だったことを書きました。続く今回は、昨年の震災以降の話です。飯舘村の複雑な事情を知り、これからも共に考えていく必要があることを理解頂ければと思っています。

■「計画的避難区域」
 3月15日の午後6時20分、飯舘村の大気中放射線量は、毎時44.7マイクロシーベルトを記録しました。その瞬間から今に至るまで、飯舘村は揺れ続けることになります。「ただちに健康に被害はない」「強制的に避難することのリスクもある」様々な意見の中で、村長は避難を決断できずにいます。その間に自主避難をされたのは1000人にのぼりました。
 4月10日に、当時の福山官房副長官は、菅野村長と秘密裏に面会します。その場で、飯舘村が計画的避難区域に設定されることを福山氏は菅野村長に告げました。翌日の4月11日には枝野官房長官からも記者発表がなされています
 全村民が村から離れる事態になっても、菅野村長は村への帰還を模索します。まず、例外的に村にある事業所を創業し続けることを政府に認めさせました。ただし当初は450人が勤務を続けていたものの、11月末には150人減ってしまうなど厳しい状況が続きます。

■「二年後に一次帰村を」
 また村民が離れるにあたり、「いいたて全村見守り隊」を緊急雇用基金を活用して結成(http://www.asahi.com/photonews/gallery/fukushimagenpatsu4/0606_iitate2.html )。住民不在の村のパトロールを実施しています。また7月には、避難先での自治会組織の検討を開始しました。公営宿舎や仮設住宅入居者を12の自治会に組織し、同時に「絆づくり支援職員」として役場職員を3人ずつ配置します。またそのうちの6自治会では、村との連絡調整にあたる嘱託の管理人として、村民を雇用もしています。9月16日には、自治会の連絡協議会も設立されています。このあたりは、原発事故前の協働まちづくりの経験が活きているのでしょう。
 そして12月16日には、復興計画の第一版を公開。そこでは二年後の目標としして「一部・一次帰村の開始」。五年後には希望前村民の帰村の実現を目指しています。(復興計画は飯舘村HPに公開されています→http://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/?p=1406 )
 菅野村長はじめ、飯舘村を維持するための強い決意が伺えるのが、これまでの取組みでした。

■twitterでの呼びかけ
 飯舘村の復興に向けた活動の、中心的な存在は20代若者が立ち上げました。「負げねど飯舘!!」です。活動経緯がウェブサイトにまとめられていますから、ぜひご覧下さい→http://space.geocities.jp/iitate0311/keii.html
 設立のきっかけは、村の商工会青年部副部長をつとめていた29歳の佐藤健太さんのtwitter(@024442)です。原発事故以降の飯舘村の状況をつぶやきつづけた結果、6000人のフォロワーに注目され、様々な支援や応援が寄せられます。メンバーは、村に対して一刻も早い避難を呼びかけます。

■若い世代らしい対抗と協調
 興味深いのは、行政と協調する姿勢を取り続けているところです。村に厳しい姿勢をとりつつも、余裕がない役場にかわってイベントを行なったり、「健康手帳」などの事業を一緒に取り組んだりもします。決起集会で決議文を採択した時にも、「怒りを噴出させない」という姿勢で、20-30代メンバーがシニアメンバーの意見を変えていったそうです。このあたりには、批判に終始しない今の世代らしい在り方(ポジ出し)がうかがえます。
 ただしその後も、村役場と村民の意見は必ずしも一致しません。そのあたりは、4月18日にダイヤモンド・オンラインに掲載された菅野村長へのインタビューに様々な経緯が書かれています(http://diamond.jp/articles/-/17361 )。例えば、当初村が出した「2年での帰還」「除染費用3200億円」に対して、「二年で帰るのは無理」「それだけのお金があるなら住民に支給してほしい」などの声が一部であがったそうです。

■6000人だけの問題ではない
 除染は効果的なのか。除染にそれだけの費用をかけて良いのか。除染できたとして帰還してよいのか。帰還しても生活は成り立つのか。様々な意見が飯舘村では交じり合います。いち早く帰村宣言を出した川内村も、3000人の人口の中で帰還したのは一ヶ月後で500人でした。そして買い物や病院といった生活インフラが十分整わない状況も続いているそうです。飯舘村も同様の問題は発生するでしょう。
 一つの意見に収れんできない現実が、ここにあります。この問題を飯舘村の6000人の皆さんにのみ押し付けるべきではありません。日本人全体として、どのように支えるべきなのか。考え続ける必要があります。(5月5日)

■参考文献
千葉悦子・松野光伸『飯舘村は負けない』(2012) 1460旅
菅野典雄『美しい村に放射能が降った 飯館村長・決断と覚悟の120日』(2012) 1461旅
『「までい」の心で村を復興させる 帰村を諦めては日本の恥だー菅野典雄 飯舘村村長インタビユー』 http://diamond.jp/articles/-/17361
『静まりかえった飯舘村の春』(JB PRESS) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35039


posted by 藤沢烈 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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