「伝統社会では、人間は世界の中に包み込まれて生活していた。私たちは始め、母親の胎内で棲息し保護された存在であったように。科学は、こうした人間と世界との親しい共生関係を断ち切る。世界は、原因と結果の巨大な連鎖とみなされ、世界から『意味』が奪い去られる。世界は、あたかも機械のように、人々の願いや憧れと無関係な、自立し・よそよそしい存在となる。世界と人間は、融和することなく相互に対立しあう」p78
厚東洋輔『モダニティの社会学』(ミネルヴァ書房, 2006)
「思考は科学やテクノロジーを作り出し、医学の分野で並外れた創造性を発揮した。(中略)しかし、なぜか思考は過ちも犯し、破壊を生み出している。これは考え方の一種、すなわち「断片化」が原因である。断片化のせいで、事物はあたかもここに存在するかのように、小片に分割されてしまう。ただ分断されるだけでなく、実際には分かれていないものまでばらばらにされるのだ」p117
デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』(英治出版, 2007)
科学は、客観的な事実のつみあげにより、ものごとの本質へ迫っている印象があります。かたや、科学的な主観が断絶を引き起こしている事実。
客観と主観。科学と哲学。伝統と近代。分けて考えることに慣れきったのが我々世代。会社においても、自分と同僚を分けて競争する。あるいは自分と会社を分けて、自己実現と会社の利益が相反すると考えてしまう。
いかに統合を図るか。組織をまとめるためにも、社会を動かしていくためにも、向き合うべき課題になるのでしょう。
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