2008年01月01日

75旅 『代表的日本人』内村鑑三 ★★★★★

「日夜、好んで山中を歩き回っているとき、輝く天から声が直接下ることがあったのではないでしょうか。(略)そのような『天』の声の訪れがなかったなら、どうして西郷の文章や会話のなかで、あれほどしきりに『天』のことが語られたのでありましょうか。のろまで無口で無邪気な西郷は、自分の内なる心の世界に籠りがちでありましたが、そこに自己と全宇宙のまさる『存在』を見いだし、それとのひそかな会話を交わしていたのだと信じます。(略)『法は宇宙のものであり自然である。ゆえに天を畏れ、これに仕えることをもって目的とする者のみが法を実行することができる。・・天はあるゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」』1.西郷隆盛 p22
「西郷は一冊の著書も遺していません。しかし、数多くの詩と、若干の文章とを遺しました。この西郷が折りにふれて詠んだ詩文をとおして、その内心をうかがうことができ、それがあらゆる行動と一致していることがわかります。(略)『私に千糸の髪がある 墨よりも黒い 私に一片の心がある 雪よりも白い 髪は断ち切ることができても 心は断ち切ることができない』『地は高く、山は深く 夜は静かに 人声は聞こえず ただ空をみつめるのみ』1. 西郷隆盛 p45
「現代の私どもは、『感化』を他に及ぼそうとして、太鼓を叩き、ラッパを鳴らし、新聞広告を用いるなど大騒ぎをしますが、真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしょう。バラの花が、自分の香を知らぬと同じく、藤樹も自分の影響を知りませんでした。その藤樹と同じように静かな生活ができないとしたならば、私どもは一生、文を書いたり、説教をしたり、身ぶり手ぶりを用いたりしたところで、それぞれ、『タタミ一枚ほどの墓場』のほか、なにも残らないでしょう。かつて藤樹が言ったことがあります。『谷の窪にも山あいにも、この国のいたるところに聖賢はいる。ただ、その人々は自分を現さないから、世に知られない。それが真の聖賢であって、世に名の鳴り渡った人々は、とるに足りない』」4.中江藤樹 p139
内村鑑三『代表的日本人』(岩波書店, 1995)

 2008年が明けた。圧倒されるほど青い空の下、これからの自分の生き様を見つめるために、内村の著作を手にした。新渡戸の『武士道』、岡倉の『茶の本』に加え、1900年前後に世界へ日本を広めた一冊である。100年経ち、彼らのように日本から精神を発したい意図もある。内村が本著で語ったのは、まさに日本人の生き様だ。
 西郷隆盛、中江藤樹に共通する点は何か。それは宇宙と一体感をもった意識をもち、自我を超えたなかで生きていた点だ。上に抜きがいた西郷の詩を見ると、芭蕉の句に通じる宇宙観を感じる。中江藤樹は、一生涯小さな村で母と妻と暮らし、村の人たちを教える先生に過ぎなかった。しかし当時から世の大名が彼の下に教えを請い、世界にその精神が伝わった。内村がほかに取り上げた上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮上人も、同様に自我をトランスし、結果として時代を超えて精神は生き続けることになった。
 宇宙/天との一体感があるからこそ、自我をトランスし、鋭い生き様を持つことができるのだろう。生き様があるからこそ、大きな思想をもち、大きな事業をなすことができるのだろう。


□参考ウェブサイト
『内村鑑三』
『代表的日本人』(松岡正剛の千夜千冊)
『西郷隆盛』
『中江藤樹』

posted by 藤沢烈 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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