「終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。(昔は、そうではなかったのではないか)と思ったりした。昔というのは、鎌倉の頃やら、室町、戦国の頃のことである。やがて、ごく新しい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場に放り込むようなことをやった人々がいたようには思えなかった。ほどなく復員し、戦後の社会のなかで塵にまみれてすごすうち、思い立って三十代で小説を書いた。当初は、自分自身のたのしみとして書いたものの、そのうち調べ物をして書くようになったのは、右にふれた疑問を自分自身で明かしたかったのである。いわば、二十二歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた」pp283-284
司馬遼太郎『この国のかたち 一』(文藝春秋, 1993)
松岡正剛氏は、司馬遼太郎について面白いことを言っている。司馬は本人が言うように「鋭いナイフ」であり、戦いや漢たちをえぐることができた。しかし、硬直していた和や文化に対しては、司馬は過小評価し、やがて書くことはなかったという。
やむを得ないのだろう。引用にあるように、司馬が小説を書き始めた動機は、敗戦時の自分と国への悔しさに尽きるようだ。その視点からは、戦いにおいて漢たちがいかに考え、いかに決断したかを描くことになる。
ただし現在は、まだ非常時ではない。非常にならぬよう、いかに常時を過ごしていくかが問われている。そのヒントは他国にはなく、自国の歴史をみることによって探るしかない。戦時中というクレパスを越えて、日本の和と文化のありようを、確かめていきたい。
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□参考ウェブサイト
『この国のかたち』(千夜千冊)
『司馬遼太郎』

