2008年04月25日

230旅 『シッダールタ』 ヘッセ ★★★★★

『私は自分の生活をながめた。すると、これも川であった。少年シッダールタは、壮年シッダールタと老年シッダールタから、現実的なものによってではなく、影によって隔てられているにすぎなかった。シッダールタの前世も過去ではなかった。彼の死と、梵への復帰も未来ではなかった。何物も存在しなかった。何物も存在しないだろう。すべては存在する。すべては本質と現在を持っている』」pp114-115
ヘッセ『シッダールタ』(新潮社, 1971)

 ヘルマン・ヘッセと言えば、「車輪の下」を書いたノーベル文学賞作家、といったイメージしかなかった。これほど素晴らしい作品を書かれているとは知らなかった。知らなかったのが残念と思ったし、またこのタイミングで知りえた幸運を感じた。
 本著は、大乗仏教における悟りの境地を、シッダールタという仏陀のモデルでもあるような僧侶の半生から描いた作品だ。井筒先生の大乗起信論解釈を読んだ後だから、しみわたるように心に入ってきた。
 作品の中で、シッダールタは早々と悟りの境地に入る。それとともに読んでいる側もあたたかな気持ちになるが、またたく間に悩みの渦に巻きとられていく。乗り越えるとまた新たな悟りに至るが、やがて新たな悩みが現れる。悟りと迷いの繰り返し。これを輪廻という。
 老年にはいってしわも増えたシッダールタは、ある時、すべては川だったのだと気づく。川はこれまでも、そしてこれからも、川である。目の前の川も、遠くの川も、すべて川である。そこに時間と空間は、ない。人生も、そのようなものだとの大悟に至るのである。
 誰しも、人生の中で、何かが見えた経験があるはずである。しかし再び新たな目標を目指してしまう。悩みを持ってしまう。年齢を重ねれば相応にならねば、と思ってしまう。ここではない、どこかに真実がある気がしてしまう。どこにもないのである。
 しかし同時に、悟りの気持ちも迷いの気持ちも、すべて川のようなもの。その意味では、どこにでもあるのである。

※今回から、本に自分なりの評価をつけることにしました。評価すること自体がおこがましいとも思うのですが、今の自分に影響を与えたか、という観点でつけていきます。藤沢個人の勝手な気分だとお考え下さい。

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□参考ウェブサイト
『ヘルマン・ヘッセ』


posted by 藤沢烈 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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