2008年04月25日

231旅 『はじめてのインド哲学』 立川武蔵 ★★★

「われわれは現在、世界の外に、世界を越えた創造者あるいは絶対者の存在を認めることは困難な状況にある。しかし一方で、『聖なるもの』の顕現を希求しているのだ。インド哲学が今日の精神状況の中で提供し得るものがあるとすれば、それは本書で述べた、『世界の中に聖なるものを見出』してきたことであろう。インド精神の歴史は、一貫して世界を人間たちにとっての――あるいは、自己にとっての――世界として把握し、さらにその自己にとっての世界に『聖なるもの』としての価値を与えようとしてきたのである」p215
立川武蔵『はじめてのインド哲学』(講談社, 1992)

 今朝はヘルマン・ヘッセによるインド仏教ストーリーをみたわけだが、仏教はインド思想/哲学の一潮流に過ぎない。特に、一面では似て、一面では異なる仏教思想とヒンドゥー思想が絡みあっていることで、インド哲学は分かりにくい。本著はそうしたインド哲学を解きほぐした一冊になる。
 インド哲学を分析していく切り口は、幾つかあるようだ。一つは時間軸。BC2500年のインダス文明からはじまり、インド仏教が滅ぼされたイスラム支配化の時代、そして現代まで、立川は六期にインド精神史を分けている。
 さらに大きく切り分けられるのは、バラモン正統派による思想なのか、仏教を軸とする非正統派の思想なのか。違いといえば、正統派は宇宙原理(ブラフマン)が、外に存在していると考え、非正統派は、存在しているように見えるのは妄想だと考えた点。
 共通するのは、現実であれ妄想であれ、世界を「俗なるもの」ととらえ「聖なるもの」へと変えてきた点だ。両者は、ヨーガを通じて、瞑想を通じて、悟りへの道を歩んできた。
 現代ほど、世界中が俗にまみれている時代もない。その意味で、数千年をこえて聖化を試みてきたインドの役割は大きくなっているのだろう。

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□参考ウェブサイト
『インド哲学』


posted by 藤沢烈 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の旅 ★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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