「人生が夢ならば、我々はそこから醒めなければならない。人生を寝倒してしまってはいけない。こう考えることによって、我々は受動的に押し付けられるに過ぎない死というものに、自分から能動的に、たとえば悟りという名のもとに向かってゆく心の準備をさせられるのである」p235
新宮一成『夢分析』(岩波書店, 2000)
★本の概要
フロイトの流れを汲んだ夢分析の実例をまとめた一冊。理論的・構造的に分析が行われることが理解できる。著者は精神分析家であり、ラカンの専門家である。
★構造化される夢
夢の出来事をパターン化して意味を読みとるのがフロイト夢分析のイメージ。本著でも、「空を飛ぶ」「数」「露出」「近親者の死」「謎かけ」といった出来事が象徴する意味について詳しく説明されている。
個人的に合点がいったのは、そうした個々の象徴だけでなくて、夢の構造そのものに意味を見いだす点。最初の夢で階段を上り下りし、次の夢で坂を上り下りするといった形で、似た構造が夢では反復することがある。その場合には、繰り返しの内容に意味があるという。この反復は、一つの夢の中でも起きるし、一晩の連続した夢でも発生するし、数か月に見る夢でも生じる。。
しばしば夢の中では存在と不在が繰り返される。登場する男の子がいなくなり、また姿を現す。なついていた鳥が、ある時消えてしまい、その後に自らが鳥にもなる。そうした人間や生物は自分自身を象徴するのだという。
★「あの世」とは夢か現実か
圧巻だったのが、夢分析からみた「この世」「あの世」の考察だ。
「この世」と「あの世」の関係には二通り考えられる。「この世=現実」であり「あの世=夢」との観点と、「この世=夢」であって「あの世=現実」との観点だ。前者の場合、寝て夢をみることと、死んであの世に行くことが近しいから、現実を生きることに変化はない。
問題は後者の場合だ。夢から目覚めることで、現実に戻る。同じように、この世から覚醒することで、あの世に到達するとの考えになる。宗教はこのスタンスである。この場合、現実は夢・幻であって、悟り/覚醒を通じて天(=あの世、異なる次元)へとジャンプする。
さらに言えば、後者の世界観では、覚醒によって「あの世=真の現実」に至る。そこから続けて覚醒すれば次の世に進むわけで、輪廻転生が生ずることになる。
毎朝、夢から目覚め続けることで、私たちは毎日永遠を体感している。相似にとらえれば、人生もまた永遠に続くとの仮説も生まれる。死に至ったとき、何を目撃するのだろうか。
★編集後記
夜にジョギングして電車で帰ることがあるが、通勤帰りの人たちからの視線が厳しい。病気なのか?!と間違われるくらいに、汗まみれになっているからだ。