2015年02月18日

商店街はなぜ滅びるのか(新雅史、2012)★★★★★ー1602旅

「郊外にあるショッピングモールの増加は、商店街や小規模スーパーの崩壊を招いた。その結果、地域によっては、自動車がないと日常生活に必要な商品が手に入らない状況に苦しむ人々、すなわち『買い物難民』を発生させた」
「以前よりも距離の遠近に関係なく消費することが可能になった。しかし、障がいに苦しんだり災害を被ったしたときに、やはり頼りになるのは地域社会における消費空間である。わたしはそのことを東日本大震災で確信した」

「商店街」をテーマにした、若手社会学者による一冊です。
 1920年代に商店街がいかに"発明"されたか。戦後の高度経済成長期にいかに発展したか。そして1970年代以降、ダイエーというライバルの登場で政治にすりよってしまい、コンビニの登場でいかに内部崩壊したか。そうした背景事情が分かります。
 しかし著者は、東日本大震災をきっかけとして、商店街の新しい可能性を感じるようになります。それは何か。地方創生元年となる今、読んでほしい新書です。久々に★を五つ付けました。(烈)



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2012年02月02日

1403旅 飯尾潤『日本の統治構造』★★★★★

「日本では一般に、大統領制では大胆な権力行使ができるが、議院内閣制では抑制的な権力行使しかできないと思われている。しかし欧米での認識は逆である。議会と大統領が別の選挙で選ばれ、権力が厳然と分立する大統領制における大統領より、議会と行政府の双方をコントロールできる内閣の長である首相のほうが、本来、大きな権力を持つのである」p2
「日本では、多元主義に形容詞を付けて、『仕切られた多元主義』『官僚主導大衆包括型多元主義』『パターン化された多元主義』などといった呼び名が相次いで提起された。こうした形容詞付き多元主義論は、日本ではアメリカのように利益集団が自由に結成され、それらが象徴を繰り返しながら、政治の主役となる状況がないことを示している。つまり日本政治では、政治活動の舞台が、あくまでも象徴の垣根を軸として設定されているのである」p38
「政策形成が所轄課からはじまるように説明したが、本当の出発点は、それぞれが所轄している業界などの諸団体である。そして、下からの積み上げで政策を決めることは、政策実施の点でも有利であると述べたが、それは政策実施を行う地方政府や、関連団体の意向をふまえて、政策を立案するということを意味していたのである」p75

 日本における統治。即ち自民党、省庁/官僚、地方政府といったアクターが戦後政治史の中でいかに役割を変えていったかを分析的かつドラマチックに描かれた一冊。日本の統治構造が、自分の頭の中で初めて結晶化された。『官のシステム』(大森彌)も素晴らしかったが、こちらはより深く本質に迫っている。著者は政治学者の飯尾潤氏。
 大統領制よりも議院内閣制の方が、世界的には権力集中的だと説明する伏線からスタート。省庁/官僚が日本の統治を支えてきた歴史と限界を整理。しかし官僚陰謀論のようなものは妄想であって、地方や業界などの日本各地の多様性が、そうした統治構造を認めてきたと説明する。しかし、曖昧な統治では、変革をすすめる障害となった。

「日本の中央政府が、新公共経営(NPM)の流れに乗っていないのは、突き詰めればこの問題(政府における企画と実施の未分離)に行き着く。導入された制度は、政策評価をはじめとして、外見的には似ていても、内容的には諸外国と大きく異なったものとなり、あまり効果を上げていないことが多い。新公共経営をはじめとする改革を推進し、新たな官民関係を築くためにも、決定中枢を明確化する議院内閣制の強化は不可欠である」p231
「望まれるのは『民意集約型政党』の整備である。(略)ネットワーク型の『情報交換の輪』を使って、必要な意見交換を行うのも、現代的な組織のあり方である。また、議員がコンビニエンス‥ストアのフランチャイズのようなかたちで、政党本部とつながり、看板を統一するだけではなく、常に売上情報、すなわち有権者の要望や反応を政党が集約することで、政党の方針を決めていくといった組織論もあり得る」p235

 飯尾氏は、変革のためには「権力核」が必要だとする。そのためには大統領制よりも、議院内閣制を機能させることが早道だと提示する。小泉純一郎元首相がそのモデルを示したように。
 同時に、散らばった民意を集めえる「新しい政党」が必要だという。ここに対しては二つの方向性があるように思う。一つは橋下徹大阪市長に代表される地域政党。地方議員を通じて、コミュニティの声を直接拾い上げることが可能だからだ。そしていま一つはオープンガバメント。Facebook等が発達することで、地域を越えてリアルタイムに民意を集めることもできると思う。震災復興に携わりながら、そうした可能性に思いを馳せる。
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2012年01月21日

1394旅 岡本全勝『新地方自治入門』★★★★★

「市町村長を大統領制でなく議院内閣制にしたり、小さな町村では議長を町村長としてその下に行政執行に責任を持つシティマネジャーを置く方法も考えられます。(略)現在のような、日本全国ほぼ一律の役場組織と自治の仕組みを、もっと多様化すればよいと思います」p53
「多くの若者が自発的に現場に駆けつけ、被災者の支援と海岸の清掃に従事したのです。このような活動は、対価を求める経済活動や利己的な活動ではありません。すなわち、私には入りません。政府が組織した、あるいは命令した活動でもありません。自発的活動です。これは、従来の公私二元論には収まらない活動なのです」p206
「機関委任事務制度廃止がついに成功したように、第二次(財源の自立)、第三次(規制の廃止)の分権改革はいずれ進むでしょう。私は、これらのほかに、もう一つの分権が必要であると考えています。それは、住民の意識の分権です。私たち日本国民が身に付けた、中央集権的・中央政府依存的な考え方の転換です」p313
『大量生産されたモノ・情報・文化を「消費」する生活から、自分で生活のスタイルを「つくる」ことへの転換です。中央政府から与えられた制度を「消費」する行政から、地域で公を「つくる」ことへの転換でもあります。構造改革は、地域の生活や公から変える必要があるのです」p334

 復興対策本部(2月から復興庁)の事務局次長であり、震災直後から陣頭指揮をとり続けられている岡本全勝氏による一冊。日本の地方行政の過去と現在。そして"地方自治"に変化するべき未来を洞察している。大阪都構想の関連でも、東北復興を見通すためにも、必読の一冊だ。(ただし残念ながらamazonでは品切れ)
 2002年の東京大学大学院での筆者講義をまとめたのが本著。その時点で、公・私に対してNPO・ボランティアといった"共"の重要性が説明されている。岡本氏の考えがあったから、復興対策本部でもボランティア班が継続し、復興庁で民間連携の考えが進められようとしている。
 地方分権が進むためには最後に住民の意識が変わることが必要だとの部分に、個人的に納得。震災復興でも、安易に「国」や「東電」の責任だとして安心していないか。国に頼らず、まずは自助。その次は地元のNPOや民間団体、企業といった共助の力を考える。オライリーが言うように、国はプラットフォーム(または野中郁次郎のいう"場")であるべき。そのような思想を透徹すべく、政府復興対策本部に私は関わっています。


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2009年10月21日

1279旅 アル・ライズ/ジャック・トラウト『売れるもマーケ当たるもマーケ マーケティング22の法則』★★★★★

「マーケティングの基本的な課題は、あなたが先頭を切れる分野を創造することである。これが『一番手の法則』である。他に優っていることよりも、先頭を切ることの方が大切なのだ。最初に顧客の心に入り込むことの方が、最初に入り込んだ商品より自分の商品の方がベターであると人に納得させることよりもはるかに容易なのである」p12
アル・ライズ/ジャック・トラウト『売れるもマーケ当たるもマーケ マーケティング22の法則』(東急エージェンシー)

★本の概要
 マーケティングの古典。タイトルは軽めに見えるが、内容は本質的であって古いけど事例も豊富。マーケティング入門者にも中級者にもお勧めできる一冊だ。

★マーケティングと心理
 特に前半の法則は誰でも一度は見て欲しい。1.一番手の法則。どんな業界でも一番以外は覚えてもらえない。2.カテゴリーの法則。二番手であっても、一番と認識される新しいカテゴリーを作ればよい。3.心の法則。物理的に市場参入していたかよりも、顧客の認識上の順番が問われる。4.知覚の法則。商品性以上に、顧客にいかに認識されているかが勝負となる。5.集中の法則。マーケティングのポイントは、顧客の意識に「言葉」を植え付けることにある・・・といった具合。マーケティングにおいて、複雑な分析の前に、人間心理の熟知が必要だと思い至らせられる。

★編集後記
 今日は夜に研修講師。




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2009年09月30日

1258旅『エリック・ホッファー自伝』

アメリカの社会哲学者の自伝。18歳で天涯孤独になり、港湾労働者として働き、それ以外は読書と思索にのみ費やしていた。49歳で発表できた著作が好評となり、その後はバークレーで教鞭もとるが、常に社会の最底辺で過ごされていた。強く共感する。

ホッファーが放浪人となった事に意図はない。縁と心の声に従った結果であった。各現場での労働と人と本の出会いが綴られている。淡々としているのに、なぜか胸を熱くさせる(★5)。http://ow.ly/rODv

※実験的に、twitter上での発信に切り替えています。フォローお願いします。
http://twitter.com/retz

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2009年09月24日

1253旅 ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす』★★★★★

「責任ある地位には、ヒーローもいらないし、官僚もいらない。必要なのは、バランス感覚のある献身的な人材。言ってみれば『関与型』のマネジメントをおこなえる人物だ。関与型のマネジャーは、単に会社の株価を引き上げるだけでなく、組織を強くすることを自分の役割と考えている。リーダーシップの名の下に瓦礫の山を築くようなまねはしない」p12
ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす』(日経BP社, 2006)

★本の概要
 経営陣にしめるMBA取得者の比率をみた場合、業績不振企業では90%、業績好調企業では55%であったという。ビジネススクール出身者はなぜ失敗するのかを描き、その代替案を打ち出した一冊。『マネジャーの仕事』で知られるヘンリー・ミンツバーグが著者であるから、本著は説得力がある。

★MBA教育は何をもたらしているか
 MBA教育による弊害は四分野にまたがるという。
 1.教育プロセス。各ビジネススクールは、ランキングや就職先を重視するあまり、カリキュラムは画一化し、ビジネスに関する研究は疎かになっている。2.マネジメント業務。計算・分析を最重視するマネジャーが量産されることで、数字に現れない影響を考えられない経営陣が増える。また短期的成果を目指すヒーロー型マネジャーの増加により、ギャンブルに近い経営が蔓延している。3.組織。ピラミッド型から、ハブ型、ウェブ型へと組織の形態は進化している。意思決定を重んじるMBAはピラミッド型は得意とするが、他者への支援が求められるハブ型や、リーダーが生まれる環境づくりを求められるウェブ型においてMBAは官僚的すぎる。4.社会制度。数字・分析を重視する余り、人間的・社会的価値よりも定量化できる株主価値をMBAは目指してしまう。分かりやすいゆえにこの弊害は広がり、大企業のみならず政府や非営利組織でもMBA流思考が広がっている。

★編集後記
 私自身もMcKinseyにかつて在籍し、またNPOやベンチャーに対してMBA的分析手法を取り込んだ経験がある。社会起業家も時に「マーケティング」「マネジメント」という言葉を使ってしまうから、日本でも弊害は生まれている。代わりになる考えを作り上げねばならないと思っている。

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2009年09月19日

1248旅 『空海 (KAWADE 道の手帖)』★★★★★

「表層風景としては、たしかにそれ自体で自立的にそこにあるかのように存在世界が現象している。しかしそれは、実は、全体としても、またそれを構成する個々の事物としても、すべて根源的にコトバ的性質のもの、コトバを源泉とし、コトバによって喚起され定立されたもの、つまり簡単にいえば『コトバである』のだ」p62
『空海 (KAWADE 道の手帖)』(河出書房新社, 2006)

★本の概要
 河出書房新社による空海に関するアンソロジー。空海思想の世界性についてスター達が競作している。井筒俊彦先生はじめ、中沢新一さん、松岡正剛さん、中村元さん、はたまた明治期に書かれた南方熊楠や内藤湖南の文章も掲載されている。

★コトバが世界をつくる
 高野山に立ち寄るので読んでみた。個人的に密教よりも禅の方が今はシンパシーを感じる。ただし思想としては空海の宇宙観に惹かれる。本著にも掲載されている井筒先生の論文によるところが大きい。
 物事が先に存在してコトバが名づけられるのではなく、コトバありきで世界が形作られる。そうした思想をもつ真言密教について、他の思想体系と比較しながら説明されていく。
 易経では、天・地・雷・風・水・火・山・沢を意味する八卦の組み合わせによって世界が作られるとする。八要素は当然物質ではなく、深層意識下の意味のパーツ。無意識に意味ができたのちに、表層意識は混沌とした世界に特定の意味を見出す。
 ファズル・ッ・ラーを始祖とするイスラム文字神秘主義。地・水・火・風の四大要素のぶつかりあいによって、決して聴こえない「響」が生じるとする。彼らにとって物質は響であり、そのまま神の声を意味することになる。
 『声字実相義』にて「四大相触れて音響必ず応ずるを名づけて声という」と空海は語る。真言密教においても、大日如来によるコトバ=真言が発生されることで、世界は創造されると考える。空海が活躍したのは1200年前。欧米において意味文節理論が検討され始めたのは、この100-200年に過ぎない。

★編集後記
 高野山に到着した。

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2009年09月05日

1236旅 クリシュナムルティ『あなたは世界だ』★★★★★

「私があなたの顔を見たいと思い、あなたの声の美しさを聴きたいと思い、あなたがどんな種類の人かを知りたいと思うなら、私の精神は静まっていなければならず、おしゃべりなどしていてはいけないのです。(略)その静寂は、騒音から生まれるものでもなく、騒音の休止から生ずるものでもありません。その静寂は、その他の特質がすべて生じたときに、自然に現れ出てくるものなのです」p289
クリシュナムルティ『あなたは世界だ』(星雲社, 1998)

★本の概要
 タイム誌で20世紀の5大聖人の一人とされたクリシュナムルティ。ブランダイス大、カリフォルニア大学バークレー、カリフォルニア大学サンタクルーズ、そしてスタンフォード大学での講演をまとめた一冊。「あるべき姿」を目指してしまう生き方の限界を語り、「あるがまま」でいることの重要性が説かれる。

★何かに頼らない瞑想
「あるがまま」でいるための「瞑想」の捉え方が独特だ。
 まず一般的な瞑想の方法論を否定する。禅やヨーガにおける瞑想のシステムを取り入れると、毎日決まった時間に座禅を組むというように機械的にこなしてしまう。マントラ等を繰り返し唱えることも、頭を鈍くすると批判する。薬物やアルコールに頼ることも同様である。
 クリシュナムルティのキーワードは「注意」である。自分の精神や身体の状態を、注意深く観察する。精神が絶えず発するおしゃべりを抑え、静寂を手に入れることで、無意識からの働きかけを得られるという。静寂でない状況では、過去の知識や経験に基づいてしか人や物事を捉えられない。いまこの場の美しさに気づくことはないという。

★編集後記
 クリシュナムルティは宗教書や思想書などを一切読まず、自分の内面との対話を通じて人間的成熟を得たようだ。大変刺激を受ける。

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2009年08月30日

1231旅 M.K.ガーンディ『真の独立への道』★★★★★

「法律が気に入らないからといって、私たちが法律制定者の頭を叩き割るようなことはしません。しかし、その法律を撤回させるために私たちは断食をします。よい法律であろうが悪法であろうが、私たちが受け入れるようになったのは最近のことです。以前はまったくそうではありませんでした。気が向けば、その法律を人びとは破っていましたし、罰を受けていました。法律が気に入らないのにもかかわらず、それに従うような教育は、男らしさに反しますし、宗教に反しますし、隷属の極みです」p112
M.K.ガーンディ『真の独立への道』(岩波書店, 2001)

★本の概要
 インド独立の父であるマハトマ・ガーンディが、自らの思想と運動の基本理念について述べた著作。ガーンディと急進的な若者との対話形式でまとめられていて分かりやすい。その非暴力の精神は、現代日本の政治を考える上でも大変参考になる。

★ガーンディの理論とは何か
 当時のイギリス植民地支配に対抗する方法論として、「過激派」「穏健派」に対し「サッティヤーグラハ(魂の力)」をガーンディは強調する。
 過激派は、イギリス政府に対して銃火・腕力により対抗を考える。穏健派はイギリスに従い、あくまで陳情による立場向上を目指す。
 ガーンディはいずれとも異なる。サッティヤーグラハとは魂の力とも慈悲の力とも呼ぶ。受動的抵抗、といった意味である。過激派のように、法律を破壊しようとはしない。穏健派のように、法律に服従もしない。法律に反対するけれども、もたらされる刑罰を引き受けるのである。誰もが間違えは犯す。サッティヤーグラハならば、徹底して権力は持たないために、過ちがあったとしても当人が刑罰を受ける以上の問題は引き起こさない。過激派は、単に権力が後退するだけで、民衆の独立には無関係だろう。徹底した民衆による思想・理論なのである。

★編集後記
 今日は総選挙。日本の政治状況にガーンディの理論をあてはめるとどうか。政府の行動に不満を持つならば、権力で変更を迫るでもなく服従もせず、まず非暴力で断り続けることになる。では、自分を犠牲にしてでも何に抵抗するのか? その事に気づけた時が、真の変革への一歩であるように思う。

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2009年08月23日

1224旅 三島由紀夫『葉隠入門』★★★★★

「われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし『葉隠』が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死ささえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである」p90
三島由紀夫『葉隠入門』(新潮社, 1967)

★本の概要
 鍋島藩藩士・山本常朝による武士心得が「葉隠」。そのエッセンスを三島由紀夫が解説したのが本著である。葉隠が恋愛や会議の方法、酒の飲み方にまで触れている現代的な内容だと知り面白い。

★葉隠の行動原理
 とはいえ、鮮烈な行動哲学としての側面が印象に残る。三島が48項目に渡って説明している中から幾つか紹介したい。
 1.エネルギーの賛美。エネルギー原理に従って、人は大きな行動を成就することがある。2.決断。葉隠の最も有名な文言は「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」。その常住死身の精神によって人は真に自由を得て、存分に行動・決断できるという。9.世間知。葉隠は「大事は軽く、小事は重く」と説く。重大な意思決定は日ごろから考え抜いて、いざというタイミングでは軽く決める。一方、日常かかってくる小事は軽んじずに丁寧に意思決定する。21.言行が心を変える。普段の発言や行動から変えることで、内面に情熱が宿ってくる。30.年齢。何歳になっても分別で頭でっかちにならずに、それを越えてしまう強み(エネルギー)を持ちあわせる。42.緊張。日々を緊張の連続にする。
 同時に、上記と逆説的な、ある意味矛盾した内容も説いている。7.ニヒリズム。山本常朝は、この世はすべてからくり・夢であって、人間はからくり人形に過ぎないとも言っている。33.エピキュリアニズム。享楽主義と訳される。日々死と隣り合わせに生きるからこそ、精神的快楽を追究せよ、とも言う。

★編集後記
 日々は夢・幻であり、だからこそエネルギーに従って行動し続ける。その潔さは今でも活かせるように感じる。


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2009年08月21日

1222旅 新宮一成『夢分析』★★★★★

「人生が夢ならば、我々はそこから醒めなければならない。人生を寝倒してしまってはいけない。こう考えることによって、我々は受動的に押し付けられるに過ぎない死というものに、自分から能動的に、たとえば悟りという名のもとに向かってゆく心の準備をさせられるのである」p235
新宮一成『夢分析』(岩波書店, 2000)

★本の概要
 フロイトの流れを汲んだ夢分析の実例をまとめた一冊。理論的・構造的に分析が行われることが理解できる。著者は精神分析家であり、ラカンの専門家である。

★構造化される夢
 夢の出来事をパターン化して意味を読みとるのがフロイト夢分析のイメージ。本著でも、「空を飛ぶ」「数」「露出」「近親者の死」「謎かけ」といった出来事が象徴する意味について詳しく説明されている。
 個人的に合点がいったのは、そうした個々の象徴だけでなくて、夢の構造そのものに意味を見いだす点。最初の夢で階段を上り下りし、次の夢で坂を上り下りするといった形で、似た構造が夢では反復することがある。その場合には、繰り返しの内容に意味があるという。この反復は、一つの夢の中でも起きるし、一晩の連続した夢でも発生するし、数か月に見る夢でも生じる。。
 しばしば夢の中では存在と不在が繰り返される。登場する男の子がいなくなり、また姿を現す。なついていた鳥が、ある時消えてしまい、その後に自らが鳥にもなる。そうした人間や生物は自分自身を象徴するのだという。

★「あの世」とは夢か現実か
 圧巻だったのが、夢分析からみた「この世」「あの世」の考察だ。
 「この世」と「あの世」の関係には二通り考えられる。「この世=現実」であり「あの世=夢」との観点と、「この世=夢」であって「あの世=現実」との観点だ。前者の場合、寝て夢をみることと、死んであの世に行くことが近しいから、現実を生きることに変化はない。
 問題は後者の場合だ。夢から目覚めることで、現実に戻る。同じように、この世から覚醒することで、あの世に到達するとの考えになる。宗教はこのスタンスである。この場合、現実は夢・幻であって、悟り/覚醒を通じて天(=あの世、異なる次元)へとジャンプする。
 さらに言えば、後者の世界観では、覚醒によって「あの世=真の現実」に至る。そこから続けて覚醒すれば次の世に進むわけで、輪廻転生が生ずることになる。
 毎朝、夢から目覚め続けることで、私たちは毎日永遠を体感している。相似にとらえれば、人生もまた永遠に続くとの仮説も生まれる。死に至ったとき、何を目撃するのだろうか。

★編集後記
 夜にジョギングして電車で帰ることがあるが、通勤帰りの人たちからの視線が厳しい。病気なのか?!と間違われるくらいに、汗まみれになっているからだ。


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2009年08月15日

1216旅 戸部良一ほか『失敗の本質』★★★★★

「マレー・シンガポール作戦、フィリピン作戦、ジャワ作戦、ビルマ作戦などでは、作戦の手本のような先制奇襲作戦をやってのけたが、初期作戦以降はウソのように弱体化していった。成長期には異常な力を発揮するが、持久戦にはほとんど敗者復活ができない。成長期には、組織的欠陥はすべてカバーされるが、衰退期にはそれが一挙に噴出してくるからである」p394
戸部良一ほか『失敗の本質』(中央公論社, 1991)

★本の概要
 防衛大学校に当時在籍していた野中郁次郎らが共同研究し、大東亜戦争において日本軍がなぜ負けたのかを戦略・組織面から考察した一冊。ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄の各事例が取り上げられている。戦争史が理解できると共に、今だに抱え続ける日本の組織の課題が浮き彫りになる。終戦記念日ということで手に取った。

★短期的・属人的な日本軍
 六つの事例の結論として、戦略面と組織面における日本軍の課題が整理されている。
 まず戦略については、アメリカ軍と比べて極めて短期的な視野しか有していなかったことが分かる。1.目的。各戦において作戦目的は曖昧かあるいは多義的であった。2.戦略志向。時間軸の設定があまく、各戦では短期的に戦いを決することに重きがおかれた。3.戦略策定。特定の論理はなく、現場の事象(しかもFactではない)の積み上げという帰納法で戦いの方針が決められていた。4.戦略オプション。短期的視野である故に検討されているオプションは狭く、また変化への対応も不十分。5.技術体系。大和・武蔵に代表されるように一点豪華主義が特徴だった。
 続いて組織は、属人性が高いとの特徴がある。1.組織構造。システムチックな米軍の組織に対して、人的ネットワークを重視した集団主義を原理とした。2.統合。米軍が陸・海を統括する統合参謀本部が組織されていたのに対し、大本営陸海軍部では体系的な統合を実現できなかった。3.学習。対人関係を配慮するあまり、ノモンハン等の失敗から学習できなかった。4.評価。ここも属人性の高さゆえに、結果重視の評価ができずに、プロセスや動機で人事が行われた。

★編集後記
 筆者たちは、日本軍の戦略・組織が乱れた要因は、過去の成功に囚われ、リーダーが高年齢化した点にあると考えた。さて、日本社会は企業にせよ政治にせよ、全く同じ状況下にあるようだ。日本はいつ次の終戦を迎えるのだろう。


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2009年08月04日

1205旅 マルセル・モース『贈与論』★★★★★

「諸社会は、社会やその従属集団や成員が、どれだけ互いの関係を安定させ、与え、受け取り、お返しすることができたかに応じて発展した。(略)クランや部族や民族は虐殺し合うことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与えあうことができたのである。これこそが彼らの知恵と連帯の秘密の一つである」p290
マルセル・モース『贈与論』(筑摩書房, 2009)

★本の概要
 ポトラッチ、クラ交易といった伝統社会の慣習を考察し、近代社会とは異なる「贈与交換」の概念を導き出した古典的一冊。今年に入って筑摩書房が文庫化したことで、各段に入手しやすくなった。

★伝統社会における習慣
 伝統社会において、「贈与」「受領」「返礼」の三つの義務が存在するとモースは考えた。財産を贈与しなければ首長の面子は消えうせる。贈与されることを断ることは難しい。贈与されたのちに返礼しなければ、立場を失う。この前提の上で、伝統社会の奇妙な風習をモースは考察していく。
 ポトラッチ。「食物を与える」「消費する」といった意味。互いに富を贈り合うのだが、相手よりも多くの富を与えられることが権力の象徴になったため、富が破壊されつくすこともある。ハウ/haw。マオリ族は、贈り合う品物(タオンガ)にはハウ(霊)が込められていて、だからこそ品物を贈りあわねばならないと定められている。

★編集後記
 無駄な殺し合いを防ぐための知恵が贈与なのだという。であるならば、不可思議な金融資本主義の暴走も、地球規模のポトラッチと言えるかもしれない。

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2009年08月02日

1203旅 今村仁司『交易する人間』★★★★★

「本書は、贈与と交換を峻別する。そうすることで、近代に出現した市場経済、そして特殊近代的な資本主義経済の歴史的位置づけ、ひいてはそれらがかかえる歴史的限定性を明らかにできるからである。近代以前の『非経済的または非交換的』な贈与体制との対比的研究のなかで、近代の経済自身の由来、それがかかえる諸問題が一層みえるようになる」p4
今村仁司『交易する人間』(講談社, 2000)

★本の概要
 自然と「交換」し、人と「交際」し、物を「交換する」生き物(ホモ・コムニカンス)であるという人間観を示した一冊。贈与システムが資本主義システムに取って代わる様子が伺える。ビジネスとは何か。お金とは何かを根源的に考え直させられる一冊だ。著者は社会哲学、社会思想史の専門家。

★贈与から交換へ
 近代以前・以後によって、時間・空間の捉え方が大きく変化していったことが分かる。
 1.時間。近代以前は、そもそも世界は大いなる存在(=神)によって与えられた、霊的な空間と認識されていた。動物や植物を人間が得るためには、霊を物に変えねばならない。そのために行われたのが供犠(サクリファイス)であり祈りであった。但し時間的には祭り(ハレ)の一瞬であって、通常は霊的時間が続いていた。しかし現代ではすべてを俗なる時間に近代人が変えてしまった。祈りの意味も逆転し、物化するためではなく、一時的に霊に感謝する儀式となった。祈りすらも無意味だと考える人間が多数を占めている。
 2.空間。大いなる存在から与えられたのだから、全ての物は公的所有物であって、私的所有は罪とされていた。前近代の交易は、神々や人々にひたすら贈与する行為だった。一部、近代的な交換も行われていたが、それは特別なエリア(港など)で許されていて、勝手に交易を行うのは海賊に等しかった。現代では、交換を行う空間は全世界を覆いつくし、すべての人は私的所有を前提として暮らしている。
 近代になって贈与から交換へとシステムが変わる。それに伴い、時間感覚や空間感覚も変質していった。

★編集後記
 マレさんに誘われて築地の朝食会へ。朝から寿司を食べながら交流するというもの。学びもあるだろうが、交換自体に意味を感じられているように思った。知らず知らずに、贈与経済が求められているのではないか。

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2009年07月26日

1192旅 西郷隆盛『西郷南洲遺訓』★★★★★

「24 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり」p13
西郷隆盛『西郷南洲遺訓』(岩波書店, 1939)

★本の概要
 西郷隆盛の生前の言葉を、旧庄内藩(現・山形県鶴岡)の藩士たちがまとめ、刊行したもの。岩波の本は100頁強の小冊だが、『言志四録』から西郷みずからが座右の銘として選んだ『手抄言志録』も掲載されていて、遺訓自体は20頁ほどでしかない。日本が誇るべき英雄の言葉は、リーダーを目指す人間ならば必ず手に取るべきだろう。

★敬天愛人とは
 前半では、内政から外交における要諦が記されているが、中盤以降は「敬天愛人」という西郷のコンセプトが直に伝わってくる。
 人は道(天地自然)にのっとって生きるべきだから、天を敬うことを目的とすべきだという。天は自分も他人も平等に愛するから、自分を愛するように他人も愛さねばならない、とする。だからこそ自分に克つ修行を続け、低俗な生活に甘んじずに理想を求めるべき。7-8割まで成功してもその後に失速するのは、途中で自分のみを愛してしまい、驕り高ぶるからだという。
 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成しえられぬなり」という西郷の有名な言葉も、遺訓に含まれている。『代表的日本人』にも書かれていたように、西郷自身も、現代の価値にして年収3-4千万の時代に、家賃3万程度の家にしか住んでおらず、残りの金はすべて部下に渡していた。

★編集後記
 欲に任せて生きてきたと思う。ようやく、欲は際限がないし虚しいとも感じてきた。「我」をなくして「天」に生きるように、少しずつ自分を動かせたらと思う。


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2009年07月11日

1164旅 イグナチオ・デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』★★★★★

「イグナチオが自分を巡礼者と呼んだのは、より深い意味をもたせたかったからである。人間は、神が自分に対して何を望むかを探し、その神の望みを見出したら、それを実現する使命がある。その意味で、人間は神の御意志を探し、見出し、それを実現して行く旅人、つまり、神の御意志を探す『巡礼者』なのである」p43注釈
イグナチオ・デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』(岩波書店, 2000)

★本の概要
 日本のキリスト教をもたらしたのはフランシスコ・ザビエル。彼の師匠にしてイエズス会の創立者・初代総長である著者が、その巡礼の人生を綴った一冊である。16世紀の本だけれど、素晴らしい翻訳によってその霊的修行の実録を手にすることができる。

★霊的指導者へ
 ざっとイグナチオの人生をおってみたい。
 貴族の子として1491年に生まれたイグナチオは、当初は世俗的な成功を夢見る青年騎士であった。しかし砲弾を足にあてて戦線を離脱、療養中にキリスト教聖人たちの伝記を読む中で、キリスト者として生きる「聖なる熱望」を持つことになる。
 その後は読書と瞑想と祈りの日々。内なる声を聴く過程を経て、騎士としての服装と財産を乞食にゆずり、人知れずに清貧な巡礼の旅をスタートする。時に断食し、時に肉食を再開し、時に学び、時に瞑想し続け、時に監禁もされ、といった具合に様々な試行錯誤の中で霊的指導者としてイグナチオは成長してゆく。
 システムの内側にいる祭司たちは教義を重んじるのに対し、イグナチオはただ霊的体験を基礎としたコミュニケーションに徹していた。使命とは何か、生きるとは何かを考えさせる珠玉の体験記だ。

★編集後記
 久々に心に染み渡った一冊になった。世俗を捨てて、精神と空間と時間の巡礼者=旅人として生きることに、シンパシーを感じる。


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2009年06月25日

1132旅 アマルティア・セン『自由と経済開発』★★★★★

「(言論の自由や選挙という形での)政治的自由は経済的な安全を促進するのに役立つ。(教育や医療施設という形での)社会的機会は経済的参加を促進する。(交易や生産への参加の機会という形での)経済的便宜は、個人的な豊かさとともに社会的利便のための公的な資源を生む助けになりえる。異なった種類の自由は互いを強化することができる」p10
アマルティア・セン『自由と経済開発』(日本経済新聞社, 2000)

★本の概要
 1998年にノーベル賞をとった経済学者アマルティア・センが、世界銀行で行った講演をまとめた一冊。「自由」こそが貧困を解決できるとの視点が主張される。新自由主義が修正されはじめ、財政支出が強まる中、あらためて自由の意義について考えたく手にとった。

★自由が貧困を解決する
 自由は開発の目的だけでなく、手段にもなるとしたのがセン教授の主張だ。
 開発問題は単純に一人あたりGDPといった経済指標で計られることがしばしば。しかし、インドの貧民層よりも、経済指標上は豊かなスラムに住むアフリカ系アメリカ人の方が死亡率は高い。経済発展を遂げたはずの中国の方が、他の東南アジア諸国に比べて飢饉での餓死者が多い。こうした現実から、開発を見つめる上で経済指標以外の何かが必要だとセン教授は考えた。そして、日本をはじめ開発が進んだ国では、貧しい段階から教育・医療が全国民に提供されていたことに着目。経済的・社会的・政治的自由が担保されていることこそ、開発の重大要件だと考えた。
 女性の自由を引き上げるために出生率を適正化することを目指す。市場は自由な経済取引のために必要だと考え、情報がアンフェアに隠ぺいされない状況をつくることをめざす。自由主義を否定して権威・家族主義をめざす一部の「アジア的価値観」は決して普遍的ではないと考える。セン教授はこうした施策を考えた。
 貧困を解決するために自由が必要とのセン教授のメッセージ、ぜひ忘れないようにしたい。

★編集後記
 エアロバイクでは心拍機能を強化するには物足りないと感じる。ジムでもランニングマシンを使うか、水泳することに切り替える。

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1131旅 村上春樹『海辺のカフカ(下)』★★★★★

「『君にはそれができる』僕はうなずく。『眠ったほうがいい』とカラスと呼ばれる少年は言う。『目が覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている』やがて君は眠る。そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている」p528
村上春樹『海辺のカフカ(上)』(新潮社, 2005)

★本の概要
 『海辺のカフカ』下巻。裏表であったカフカとナカタさんの物語が、次第に一つになるに従ってクライマックスも近づく。そしてカフカが取った選択とは。デタッチメントからコミットメントへと視点を移した村上春樹の結論がここにある。
 
★カフカと麻原と。
 1130旅からの続き。村上春樹は、麻原が創造した物語にたいしていかなるアンチテーゼを投げかけたのだろう。
 まず前提となる世界観は、「お椀山事件」を調べた塚山教授の思想に現れる。「この世界における一人ひとりの人間存在は厳しく孤独であるけれど、その記憶の元型においては、私たちはひとつにつながっているのだという先生の一貫した世界観には、深く納得させられるものがあります」(上巻, p200)。世界は一つであるけれど、一人一人は孤独。この視点に沿って、初期の村上春樹は世界におけるデタッチメントを描いていた。だからこそ、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の最後、主人公は一人森という自らの世界に残った。
 しかし、こうした孤独を深めることが、麻原的世界観に繋がるリスクもある。『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の仕事を通じて村上春樹はそう感じたのではないか。以来彼は「社会的コミットメント」をキーワードとし始める。そして本著でも、主人公カフカは深い森に独り入るが、最後に森から去って現実世界に戻ることになる。
 麻原はキレイで幸福感ある桃源郷の物語を生んだ。村上は、世界に暴力と穢れがあることを前提として、それでもその世界に戻ることの美しさを示したように感じた。「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」。この小説の冒頭の予言である。暴力的なこの世界を生きるにはタフさが必要となる。だけれども、15歳のカフカ同様に、すべての人々にもタフさが備わっているはず・・そんな村上春樹の希望が見えてくる。

★編集後記
 母親と銀座で17時から会う。去年ラオスで会ってから一年近くぶり。一月末に日本に帰国したのだけれど、その後もラオスやカンボジアを飛び回っていて会えなかった。今もっともアポを取りづらいのはうちの母親だ。また来月か再来月にアジアに行くようなので、次は彼の地での会わせてもらおうと思う。店から出たら、外はまだ薄明るかった。


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2009年06月24日

1130旅 村上春樹『海辺のカフカ(上)』★★★★★

「今から百年後には、ここにいる人々はおそらくみんな(僕をもふくめて」地上から消えて、塵か灰になってしまっているはずだ。(略)僕は自分の両手を広げてじっと見つめる。僕はいったいなんのためにあくせくとこんなことをしているのだろう? どうしてこんなに必死に生きていかなくてはならないんだろう?」p114
村上春樹『海辺のカフカ(上)』(新潮社, 2005)


★本の概要
 2002年に新潮社から発売された村上春樹の長編小説。15歳の少年「田村カフカ」が主人公であり、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『1Q84』同様に、二つの物語が交互に語られていく。ニューヨークタイムズが2005年ベストブック10冊に選ぶなど、海外の評価も高い。上巻はカフカと、もう一人の重要人物である「ナカタさん」がそれぞれの事情によって中野区から西に向けて旅に出る過程が描かれる。

★カフカの問いとは何か
 「私たちはどこから来て、どこに向かうのか」。それが「カフカ」の大きなテーマであると感じた。
 自我もポリシーも持ちながら、未来は描けない15歳という絶妙な設定。父を殺し母を犯すオイディプス神話がモチーフになっていて(どこから来たのか)、目指す先もなく何かに導かれて旅に出ていく物語(どこに向かうのか)。重要人物であるさくらが「なんに意味があるかといえば、私たちがどこから来て、どこに行こうとしているかってことでしょう。ちがう?」とのセリフに対して、「僕はうなずく。僕はうなずく。僕はうなずく」と三回繰り返される。
 子供の頃の事件により知的障害をもつナカタさんも同様だ。記憶と読み書きの能力を失っていて(どこから来たのか)、中野区でのある怪人物との事件をきっかけとして、カフカの後を追うかのように四国へと向かう(どこに向かうのか)。
 二人が何者であり、何に向かって生き急ぐのか。自分の立場と重ね合わさずにはいられなくなる。そして下巻では二人の結末が描かれる。村上春樹が描いたのは、現実のある物語への対抗としてであったはずだ。オウム真理教・麻原彰晃がつくった物語への対抗として。(1131旅に続く)

★編集後記
 よし旅に出ようと思って、まず買ったのは理科年表。最適な気温と湿度のエリアを選ぶためです笑。


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2009年06月23日

1127旅 ハイエク『隷従への道』★★★★★

「社会主義の実現を妨げるものが、まさにこのような要素(自由主義的要素)であることがいよいよ明らかとなるに従い、左翼の社会主義はますます右翼の社会主義に接近していった。左翼と右翼の反資本的勢力が結合し、急進的社会主義と保守的社会主義が融合したために、自由主義的なすべてのものが、ドイツから一掃されることになったのである」p216
ハイエク『隷従への道』(東京創元社, 1954)

★本の概要
 20世紀を代表する経済学者にして思想家であるハイエク。サッチャー、レーガン、小泉に連なる新自由主義の背景にハイエクがいた。現代では新自由主義が富裕層優遇のためにあったと考えられがちだが、そんな見方こそ国家社会主義→ナチズムにつながったと批判したのが本著。今の時代だからこそ、読まれるべき一冊だろう。

★なぜナチズムは成立したか
 ナチズムがなぜ成立したか。まず、価値観が多様化した社会において、単純素朴な悪い意味での「大衆」が多数派になるという。そうした大衆は「敵を憎む」「有福なものを妬む」といった視点によって同質化させやすい。その上で、国内の左翼集団と右翼集団が合流を図り、どちらでもないリパタニアン(国際主義/自由主義)を一掃してしまう。その先に国家社会主義(全体主義の一歩手前)が待ち受けているという。
 日本で言えば、右翼集団によって中国/韓国を敵視し、左翼集団は富裕層を敵視し、いずれをも代表する政治集団が組織されていく・・そんなシナリオもあるのだろうか。
 国家社会主義と、自由主義の違いを二つあげたい。国家社会主義も「自由」は語るが、自由主義者のそれとは異なる。前者はFinancial Freedomと言われるように経済的苦労からの自由。選べる自由は捨ててでも保障を得ようとするから、社会保障費をあげていく方向に向かう。後者は経済的活動を選択できる自由のこと。もう一つ。国家社会主義は「計画」を重んじて、個人による支配が主となる。自由主義では「市場」を重んじて、個人の前に法による支配が中心におかれる。
 全体主義に陥ったドイツやソ連の例を人類は知っているわけで、その教訓は現代でも頭の隅に置く必要があるだろう。

★編集後記
 暑い一日。気温が上がってくると、旅に出たくなる。


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