2009年06月22日

1126旅 村上春樹『約束された場所で』★★★★★

「社会そのものには、あの事件を防ぐだけの抑止的ワクチンは備わっていなかったけれど、人々の一人ひとりの語る物語の中には、やはりたしかな力を感じるんです。潜在的な力というか。そしてそれらの物語をひとつひとつ集めて積み重ねていけば、そこには何か大きな勢力が生まれるのではないかと」p289
村上春樹『約束された場所で』(文藝春秋, 2001)

★本の概要
 地下鉄サリン事件の被害者62人を村上春樹がインタビューしてまとめたのが『アンダーグラウンド』。その続編として、オウム真理教信者(または元信者)を取材したのが本著である。村上春樹が、なぜオウム真理教をテーマとして選んだのかが理解できる。これからの世界観を考える上で、はずせない一冊だ。河合隼雄との二つの対談も貴重。

★日本システムとオウムシステムの衝突
 オウム真理教とは何だったかが、日本社会というシステムとの対比で語られていく。
  『アンダーグラウンド』では日本社会というシステム(以下、日本システム)側が説明された。日本システムもオウム並みに暴力的であったことを村上春樹は感じる。被害者はサリンに遭ったにも関わらず、身を省みずに会社に向かう。会社側は初めこそ同情的だが、時間がたてば本人にも問題があったと指摘するようになり、本人は会社を退職せざるをえないケースもある。
 日本システムから外れた弱者(あるいはピュアな人間)の受け皿として、オウム真理教というシステムは機能した。しかし日本システムと相容れない故に暴走が開始される。小さなシステムを守る為に絶えず外を攻撃することになり、教祖は組織の頂点にたった瞬間に堕落し始める。作られた物語は個人を超えて、創造した本人を犠牲にする。言葉とアクションのかい離は進んでいく。
 日本システムが衰え、吸収しきれない層を生み続けているのも事実。村上春樹は別のシステムを作るのではなく、一人一人がもつ個人的な物語にその可能性をみる。それは家族という単位ですらないかもしれない。

★編集後記
 日本システムから距離を置くけれど、矮小化されたミニシステムに身を置くのでもない。個人の立場を貫きながら、既存社会に言葉/物語を投げかけていく。サイードがいう「知識人」(255旅参照)のようで在りたい。



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2009年06月20日

1120旅 柴田元幸ほか『世界は村上春樹をどう読むか』★★★★★

「アメリカでは真に重要な数少ない世界的作家の1人として広く認識されているし、アマゾンの読者コメントで大衆レベルの反応を見ても、ほかのいかなる現代純文学作家も享受していない多数の熱心な読者を獲得していることが分かります。同じ1人の作家が、イタリアと韓国で大ベストセラーとなり、トルコで文化的事件となり、ロシアと中国ほども異なった国々で最高の文学的敬意を得ている。どうしてそんなことがありえるのでしょう?」p58
柴田元幸ほか『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋, 2009)

★本の概要
 村上春樹は40カ国近くで翻訳が出版されており、販売部数も日本より海外の方が既に多いという。なぜ村上春樹が世界中で読まれているのかを主題に、国際交流基金のスポンサードによるシンポジウムが2006年に行われた。17カ国の翻訳家たちが集ってその実情を語った素晴らしい内容であり、本著はその記録である。日本と世界が深く結ばれていることを示す、興味深い内容だった。

★世界中の村上春樹
 アジア地域での読まれ方が興味深い。
 「1973年のピンボール」が1986年に台湾で出版されたのが、初の翻訳だったという。台湾民主化・独立運動とも連動し、都会生活の孤独が描かれていると評価された。特にマスコミ関係者に読まれたようで、カフェ・ノルウェイの森や、バー海辺のカフカなどもできているという。
 中国でも80年代後半より読まれはじめた。1989年の天安門事件の絶望と、Barや単身者マンションという都市文化の象徴に惹かれ、若い中産階級が読者となった。
 韓国では386世代(60年代にうまれ、80年代に学生運動を経験)の挫折感・虚無感と連動。韓国で日本文学が受け入れられるきっかけになったのは村上春樹だったという。
 香港はシステムとの戦いと呼応はしないが、都市生活の描写と、実現されない愛、過去のノスタルジアといった主題が受け入れられた。王家衛の「恋する惑星」は私も好きな映画だけど、原題は「重慶森林」(重慶の森)であり春樹の影響を多大に受けていた。
 ロシアでも90年代半ばの社会主義の挫折、自殺率増加などと同時期に村上ブームが開始されている。それまでは現代日本人作家はまったく読まれていなかったが、春樹以降はよしもとばなな等も訳されているという。
 村上春樹を批判するときには「軽薄」「コマーシャリズム」といった表現がなされ、賛同されるときは「モダニズムへの批判」「精神性の高さ」といった表現がなされるようだ。都市社会の快楽と虚無感という矛盾した側面をもつ世界中の新しい世代に読まれ続ける実情と、ぴったり重ね合わされる。

★編集後記
 人と距離を置こうとしても、街やネットを通じて知り合いと会い続けてしまう。一体感と距離感が渾然となったこの現代。

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2009年06月16日

1112旅 村上春樹『アンダーグラウンド』★★★★★

「あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないかの?」p754
村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社, 1999)

★本の概要
 乗客・駅員12名死亡、5510人が重軽傷を負った1995年の地下鉄サリン事件。その被害者62人に村上春樹が直接インタビューしてまとめた一冊。1人あたり原稿用紙平均20-30枚に及ぶ分量であり、当時を知る一次情報としても大変貴重な本だ。

★二つの物語とその暴力
 2年近くを費やし700頁をこえた本著を通じて、オウム真理教ではなく現代というシステムの脆弱さを村上春樹は伝えたかったのだと思う。
 システムは物語をもつ。オウム真理教もそうだった。麻原彰晃が創りだした物語はジャンクにも関わらず、いやジャンクだからこそ猛烈に信者をひきつけ、個々人が持っていたはずの物語を奪って、現代というシステムに真っ向から挑戦をした。
 オウムという「あちら側」に対して、「こちら側」も実は同じ構造を持つのではないか?と村上春樹は投げかける。メディアはオウムという悪と、一般市民という善に括る。会社や国は個人を救済をせず、システムを守ることを一意とする。村上春樹は62人と直接向かい合うことで一人一人に物語があることを理解し、オウムと共に「こちら側」(メディアや企業や国)もまた一人一人の物語を切り捨てていた現実に気づく。
 村上春樹は一作家として、今の時代にこそ有効な物語が何かを、全身全霊をこめて書き上げようとしていた。現実からの逃避ではない、現実に立ち向かえる武器としての物語を。

★編集後記
 私自身の物語も1995年から始まっていた。阪神大震災、オウム真理教をみて、「我々は何者なのか」「我々にとって日本とは何か」を動きながら考え続けたのだと思う。村上春樹も15年をかけて1Q84を紡いだ。私も10年20年かかることを覚悟に上で、自分に問いかけを続けていきたい。

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2009年06月14日

1108旅 村上春樹『羊をめぐる冒険(下)』★★★★★

「『俺はきちんとした俺自身として君に会いたかったんだ。俺自身の記憶と俺自身の弱さを持った俺自身としてね。君に暗号のような写真を送ったのもそのせいなんだ。もし偶然が君をこの土地に導いてくれるとしたら、俺は最後に救われるだろうってね』『それで救われたのかい?』『救われたよ』と鼠は静かに言った」p223
村上春樹『羊をめぐる冒険(下)』(講談社, 2004)

★本の概要
 引き続いて、"僕"と"鼠"による羊をめぐる冒険の下巻。"僕"は北海道に到着していて、羊の探索が開始される。

★こちら側とあちら側
 1107旅では「退屈」と「波乱万丈」を対極においたけれど、この二つは様々な形式をとって物語に現れていく。
 右翼の大物の下で働く運転手と、黒服の男。いるかホテルの支配人と、その父親である羊博士。そして鼠と、右翼の大物。あるいは猫と羊もそうだろう。前者は退屈かもしれないし、弱いけれども日常を丁寧に生きる人たち。後者はモダン的な大きな物語の中で強さを価値として生きる人たち。
 村上春樹は、デタッチメントからストーリーテリングを本作から重視し始めたという(589旅参照)。こちら側とあちら側が、互いに侵食し始めている点で物語が生まれているのだろう。結末はぜひ小説自体を手にとってほしいので明かさないけれど、僕と鼠は最後に退屈を信じて乗り越えて、そのことに意味を見出す。すべてが終わったのちに"僕"は、鼠と女性たちがなぜ自分を信頼したか、そしてなぜ彼ら彼女らを喪失してしまったのかに気づき、涙を流す。
 こちらとあちらを繋ぐ存在として鏡やカーブや飛行機やホテル、そして羊男といったアイテムも様々で、想像力を強く喚起させてくれる。
 
★編集後記
「1Q84」の3冊目はあるのか。個人的には今のままで終わって良いと思うけれど、続きを期待する人は多いようだ。もしも出るとした場合、1984旅でぜひ扱いたい。

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2009年06月10日

1098旅 ミチオカク『サイエンス21』★★★★★

「量子、DNA、コンピュータの基本法則が発見されたことで、私たちは現在、最終的に私たちを星へと連れていってくれる、もっと大きな旅に乗り出そうとしている。第四の柱、時空への理解が深まれば、遠い将来に空間と時間の支配者となる可能性が開かれる」p465
ミチオカク『サイエンス21』(翔泳社, 2000)

★本の概要
 2000年の発行だけれども、内容は今読んでも十分革新的。理論物理学者ミチオ・カク氏が、ノーベル賞受賞者6人を含む150人以上の一流科学者にインタビューしてまとめた、科学技術のこれからを予測した一冊である。

★物質と生命と精神は、融合する
 物質、生命、精神の三つの要素が現代科学の柱になっているし、革新もここから生じるという。
 量子物理学が物質を変革する。チリ粒子ほどのマイクロマシン、やがては原子数個分の分子マシンが実用化され、体内も含めて世界中にコンピュータが散ることになる。核融合エネルギー、電気自動車、レーザー技術も実用化される。
 バイオテクノロジーは生命を変える。DNA解読により遺伝子治療が加速し、がんやエイズの一部を克服できる。鳥インフルエンザの発生も予測でき事前のワクチン開発が可能になる。
 コンピューターサイエンスが人の精神を動かす。コンピュータが散らばると、自宅や自動車は自動化機械化して自分の精神と一体化する。ウェアラブルコンピュータは身体も増強。精神は、物理世界よりもバーチャル上で過ごす時間が長くなる。機械自身も発達し、感覚をもち、意識をもつかのようなロボットが登場する。
 物質と生命と精神が互いに交わりながら変化を遂げていく。その先には、現在機能している社会制度が吹っ飛ぶほどの未来が待っているだろう。

★編集後記
 KGCの柴田理事長と、尊敬すべき若手の50皆さんとともに打ち合わせ。30年後40年後の社会・世界観についてコミットしている数少ない日本人だと思う。未来への旅にご一緒したい。

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2009年06月06日

1087旅 村上春樹『風の歌を聴け』★★★★★

「それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう」p9
村上春樹『風の歌を聴け』(講談社, 2004)

★本の概要
 群像新人文学賞をとり、1979年6月に発表された村上春樹氏のデビュー作。芥川賞にノミネートされるものの受賞されなかった経緯は、「1Q84」内の小説「空気さなぎ」のエピソードに似ている。以前読んだのは大学生の頃だった。

★軽さの奥底の重さ
 村上春樹の、作家人生の原型がそっくり描かれていると言えるのだろう。
 特に第一章は本人も「書きたいことを詰めた」と言っているようで、「あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない」「正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく」といった言葉は、ストレートな著者の想いが込められているように思う。もちろん、私も強く影響を受けた。
 そして主人公のスタンス。婉曲的に近づく女性を避け続ける。すべてを数値に置き換え続ける。過去を忘れ、そしてバーでビールを飲む。こうした姿勢を70年代的「軽さ」と表現した人は多かったかもしれない。しかし、このデタッチメント(関わりのなさ)が後々のコミットメントに進化する流れをみると、そうせざるを得なかった時代的な重たい感性があったように思う。

★編集後記
 風の歌を聴いた若者は、何かから逃れるように拳銃の引き金を引いた。1Q84での青豆の行動は、同じようでありながら、全く違う方向を向いているように思うのだ。 

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1086旅 岸田秀『ものぐさ精神分析』★★★★★

「戦後の民主主義の共同幻想は、日本人の私的幻想を共同化する点でははなはだ不充分である。日本は、戦前のイデオロギーを思想的に超克したうえで戦後のイデオロギーを主体的に築いたのではない。いわば、戦前のイデオロギーを『抑圧』しただけであって、抑圧されたものは必ず回帰するのである」p80
岸田秀『ものぐさ精神分析』(中央公論新社, 1982)

★本の概要
 岸田秀氏は心理学者・精神分析学者であり、1978年に出版された本著が話題となって、ニュー・アカデミズムブームの先駆者と目された。常識とされる意味・観念がすべて幻想であるとする「唯幻論」を提唱し、本書ではその観点からのエッセイが30近く掲載されている。

★正当化のための幻
 岸田氏が最も薦めていて、唯幻論とは何かを明快に説明しているのが「国家論」。動物と比べて人間の本能はどこか歪んでしまい、補正して生きるために文化や自我が作られたという。補正のために幻想を作り出す機能は今でも続く。アメリカが他国への介入を続けるのは、インディアンを虐殺して建国した歴史を正当化するため。不思議に暴力癖ある男性と交際し続ける女性は、過去の親からの暴力を愛情であると認識したいのだという。

★挫折が時空間をひろげる
 時間と空間がなぜ生まれたかの議論も面白い。失敗した行動を人間は悔やんでしまう面があるので、「過去」という概念を作り出して忘れようとした。また過去と現在の延長線を考えて、「将来」という概念も作り出したという。子宮の中の幼児は空間概念がないという。生まれたところで自分の思うままにならない物理的現実を知ったため、自分と他者が分かれ、空間が生まれたという。
 とすると、過去を悔み、現実の難しさを知り続けることで、自分にとっての時空間が濃くなっていくと言える。自分を揺さぶる挫折経験が人の器を大きくするというが、心理学的に説明できるのかもしれない。

★編集後記
 幻想にも、私的幻想と共同幻想がある。家族や国を持つためには、共同幻想への覚悟が必要なのだという。しかし、共同幻想は幻想なのであって、そこに希望を見出せないのが現代ではないか。けして出会えない(共同幻想を持てない)のが世界だけれども、深みにおいて繋がっていくことに可能性がある気がするのだ。村上春樹が『1Q84』で示したように。


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2009年06月05日

1084旅 エリアーデ『聖と俗』★★★★★

「近代人の意識にとって食事とか性生活等の生理的行為は、今日なおそれに付帯するタブーがどれほどあろうとも、もはや有機現象だけのものである。<原始人>にとってはしかし、かかる行為は決して単なる生理的なものではなく、聖なるものとの結合を意味する聖礼(サクラメント)である」p7
エリアーデ『聖と俗』(法政大学出版局, 1969)

★本の概要
 ルーマニア出身の、20世紀を代表する宗教学者であるミルチャ・エリアーデの代表作。都市、住宅、身体に対して、宗教的な視点(聖なるもの)と非宗教的な視点(俗なるもの)による捉え方の違いを描いた。

★聖なるもの・俗なるものによる、世界の理解
 空間と時間に対して、聖なるもの(宗教的なもの)がいかに作用するかが説明されていく。
 俗の視点では、空間は一様にただ広がっている無意味な存在でしかない。聖の視点からは、あらゆる建造物は、神の似姿であると捉える。国家、都市、家、身体すべてが、神とフラクタルである。空間には中心点があって、その裂け目において天と地上はリンクしているという。従って国には都があり、都市には神殿があり、家にも大黒柱があり、また身体には頭部チャクラが存在するとする。自らの世界はコスモスと称するがその周縁はカオス。混沌から来て中心点を攻撃する存在を龍/悪魔と呼ぶ。ビンラディンが米国の中心であるマンハッタンを攻撃し、ブッシュが彼を悪魔と呼んだ流れも、聖の視点から理解できる。
 続いて時間について。ただ流れ去るのが俗の視点から時間。聖の視点では、時間は永遠に回帰しつづけると捉える。一年の終わりに煩悩を取り払い、新しい年を祝うのは世界共通。毎年毎年、神秘性を取り戻して時間を繰り返すのである。
 
★編集後記
 中心点と輪廻が、あらゆる世界観に存在するという。資本主義にもウォール街とバブルの繰り返しがある。日本にも皇居と皇位継承がある。電脳空間ではどうか。サーバーやポータルではない中心点がどこかにあり、何かが繰り返され続けるはずだ。

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2009年06月03日

1078旅 村上春樹『1Q84 Book2』★★★★★

「『1Q84年?』と青豆は言った。顔はもう一度大きく歪められた。それは私の作った言葉じゃないか。『そのとおり。君が作った言葉だ』と男は青豆の心を読んだように言った。『わたしはただそれを使わせてもらっているだけだ』 1Q84年、と青豆は口の中でその言葉を形作った。『心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない』とリーダーは静かな声で繰り返した」p250
村上春樹『1Q84 Book2』(新潮社, 2009)

★本の概要
 1Q84の二巻目である。今回は少し内容に立ち入って話したいため、未読の方はこの先を見るのを控えてもらった方がいいと思う。

★1Q84とは何か
 読み進めながら最初は「カルト宗教」が主題かな?と思った。途中から何かが違う、と感じ始めた。
 エホバの証人に似た「証人会」、ヤマギシに似た「さきがけ」、連合赤軍に似た「あけぼの」、麻原彰晃に似た「リーダー」。どこか"単純"すぎるのだ。ある瞬間、気づく。なぜ青豆と天吾の物語は分けられていて、しかし密接に絡み合い、そして決して二人は出会えないのか。答えはすぐ近くにあった。1984年と1Q84年。別の時空間に二人は存在しており、1Q84年は天吾が編集する世界/物語なのであって、青豆はその登場人物になっていたのだ。あえて類型的な登場人物やシーンが出てくるのも、小説内小説を強調するためなのだと思う。
 
★続編はあるのか
 「Book1 4-6月」「Book2 7-9月」という表記になっていて、「ねじまき鳥クロニクル」でも1,2巻の16か月あとに3巻がでていたことから、続編は出るという見方をする人が多いようだ。ただ、個人的には二巻で終わったとしても、十分物語は完結したように思えた。二巻目の終わりにかけて天吾は、「1Q84」という物語の存在そのものに気づき、新しい物語へ向かうことを決意する。また青豆も物語の預言通りに「1Q84」を去る。その時点で、「1Q84」は消えてしまったように私は感じた。
 村上春樹は1995年地下鉄サリン事件/阪神大震災以来、現実に対して「コミットメント」を続けているという。現実と仮想が入り混じる本作を描いた理由は、そのまま読者による現実へのコミットを期待したからではないか。だからこそあえて「1Q84」は疑問符のままに終わらせたのではないか。少なくとも私自身は読み終えた瞬間に見た空の色は、幾分か異なっているように感じた。

★リトルピープルとは何か。空気さなぎとは何か。
 オーウェル『1984』で人間を管理する存在であった「ビックブラザー」は、『1Q84』では「リトルピープル」になる。ビックブラザーが巨大なサーバーであるならば、リトルピープルは人間1人1人が保有するPCがメタファーとなる。マルクス主義、新自由主義、カルト宗教(オウム真理教に象徴される)といった大きな物語は終わった。それに代わるのは、個人が生み出す小さな物語ではないか。そしてその物語は自分を超えた存在(リトルピープル)によって夜ごとに紡がれ(空気さなぎ)、その物語に自分自身も巻き込まれていく。
 世界観という言葉が最近しっくりくる。宗教も科学も歴史もイデオロギーも、数ある世界観の一つ。科学や資本主義はモダンにおいて強力な世界観になったけれど、圧倒まで至らずに大きな物語(世界観)は限界をむかえる。リトルピープルや空気さなぎを通じて、世界観がますます個人的かつバラバラになる様を、村上春樹は示唆したのではないか。そして世界観が違う(1984年と1Q84年)二人が、奥底の深みで繋がりあえる可能性を見出したのではないか。

★編集後記
 ということで、1Q84年は軸がくっきりした物語であり、また大きな希望を示した一冊であったと感じた。私自身も、強烈にこの物語に自分を投影せざるをえない。自分にとっての世界観(空気さなぎ)を紡ぎつつ、他人の世界観といかに繋がるかが、大きな課題として残される。・・まずはジョギングでもしにいこう。

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2009年06月02日

1077旅 村上春樹『1Q84 Book1』★★★★★

「『そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです』」p23
村上春樹『1Q84 Book1』(新潮社, 2009)

★本の概要
 村上春樹の五年ぶりの長編小説。5月29日の発売日まで情報はほとんど提示されず、だからこそ憶測が話題となり、Amazonでも2万冊の予約があったそうだ。村上春樹を私はさほど読んでいなかったが、589旅『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』以来気になっていた作家であり、『1984』の関心も強めていたことから、何しろ手に取ってみた。世界が一変するほどの衝撃を受けた。

★内なる深みへのコミットメント
 589旅でまとめたように、「デタッチメント」(関わりのなさ。「風の歌を聴け」)から「ストーリーテリング」(内的イメージの提示、「羊をめぐる冒険」)と進んで、1995年を境に「コミットメント」(人と人との関わり、「ねじまき鳥クロニクル」)へと村上春樹の創作コンセプトは移り変わる。1995年には地下鉄サリン事件と阪神大震災が起きた。本作もその延長戦にあり、1984年に設立されたオウム真理教などのカルト宗教と、村上春樹的な「コミットメント」が描かれているように感じる。
 スポーツインストラクターだが女性暗殺者でもある青豆と、数学予備校教師でいながら小説を書き続ける川奈天吾の二人が主人公。少しずつ現実からずれてゆく1Q84年の世界観の中で、外側から観察するのでもなく二人は積極的に自己を投げ出していく。サルトルのように社会活動にのめりこむのでもなく、あくまでも自分の深みへと潜り込むような方法だ。
 分析的にではなく全身全霊/実存をもって読みこむことで、この小説の凄みを理解できていくように感じる。

★編集後記
 深みにはまり過ぎて、仕事がストップしてしまった・・。(金澤さん、すみません!)

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2009年05月27日

28旅その2 野田智義、金井壽宏『リーダーシップの旅』★★★★★

「私たちにとって、リーダーシップとは『生き様』の問題なのだと思う。つまり自分はどんな人生を送るのかと同義であり、本当の意味で納得できる人生が送れたならば、そこには人それぞれの旅の軌跡が残るのだろう」p286
野田智義、金井壽宏『リーダーシップの旅』(光文社新書, 2007)

★本の概要
 次世代リーダー育成NPOであるISL理事長の野田さんと、キャリアやリーダーシップ研究の第一人者である金井教授による共著。古今東西の事例を交えながら、リーダーシップの本質に迫る。あたかも旅をしながらお二人と話をしているような、そんな感覚をもてる不思議な一冊だ。
 リーダーシップは私の人生のテーマであって十数冊は本も読んできたし、学生時代も一條和生先生のゼミでリーダーシップを学んできた。その上でもリーダーシップに関する私の最高の一冊は本著だ。個人的にも大きな影響を受けた。初めて読んだのは2007年の秋ごろで、本Blogでも11月13日に28旅として紹介済みだが、本を通じた内面の旅をスタートするきっかけになった本でもある。

★麻布十番の一夜
 内容は本を読んで頂くとして、1年半ぶりに再掲載する理由を話したい。人生を変えた一冊であったから、著者である野田さんと飲み語らいたいと当時からずっと思っていたのだが、その夢を昨晩実現させたからだ。
 ISLは社会イノベーションセンターを立ち上げているが、私もそのチューターとして昨年末から関わってきた。立ち上げ期の半年間を終えて、次のプログラムは野田さんがより前面にたつ上で、「ゆっくり一度話しましょう」とお誘いをいただいたのだ。麻布十番の美味しい韓国料理店で夜更けまで二人で語らせて頂いた。 
 かわされた話も素晴らしかったが、なにより言葉を超えたインスピレーションに貫かれたような気がした。人生の時計が一つ進んだようなそんな感覚があった。具体的な展開はこれからになるが、間違いなく大きな変化のきっかけとなる一晩であった。

★編集後記
 フランクルは「私は、人生になにを期待できるか」ではなく、「人生は、私になにを期待しているか」と考えられた人がナチスの強制収容所を生き延びられた、と綴った。本著から始まり、野田さん含め今を生きる様々なリーダーの皆さんとご一緒できている今。何者か分からないけれど、確実に人生は私に何かを期待している、そんな感覚がある。

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2009年05月22日

1048旅 中沢新一『三位一体モデル』★★★★★

「混乱する現代の資本主義経済を健全なものにしていくためには、『霊』の部分が増殖し、ゆがんでしまった『三位一体』の構造を、本来の正しいかたちに戻していく、その方策を見つけていかなければなりません。その時、この『霊』の問題と特に深い関わりを持っているのが、『情報』に関わっている人、『経済』に関わっている人、『広告』に関わっている人・・などの人たちです」p81
中沢新一『三位一体モデル』(東京糸井重里事務所, 2006)

★本の概要
 思想家/人類学者である中沢新一さんが、糸井重里さんと開校した「芸術人類学研究所・青山分校!」で行われた講義を元にした一冊。「父」「子」「聖霊」という三要素によって世界と社会を理解する方法論が説明されている。

★Howの行きすぎと役割
 三位一体モデルで日本社会を分析すると、父の不在による子と霊の暴走が見えてくる。
 私の解釈で、子はWhat、霊はHow、父はWhyであると考えた。音楽業界でいえば歌手は子であり、霊は音楽業界、父はそもそもの歌われる目的を指す。現代では父たる目的が見失われて、歌とアーティストが増殖され続けているだけのように見える。ビジネスでも、霊たるビジネススキルが尊重され、企業や事業が増産されているけれど、そもそもビジネスとは何かが語られる機会は少ない。

★父を求めて
 私自身の問題意識も、三位一体モデルで整理できる。ネットワーカー、経営コンサルタント、ベンチャー支援・・いずれも、霊としての役割であった。子たる若者、企業、ベンチャー経営者を支援してきたし、その価値をそれなりに増幅できてきたのだと思う。しかし価値増加のその先のWhyが見えなくなって、霊としての役割をある段階で止めていた。
 今と次の時代における「父」とは何かを探し続けてきたのだと思う。これまでの価値観とは違う「父」を。だからこそ、幾つもの場で霊としての役割を担いながら、父を追い求めてきたのだ。

★編集後記
 霊は、父たる存在によって聖霊とも悪霊とも呼ばれるという。次の時代の父を求めている時点、今の時代からは悪と呼ばれることも覚悟する必要があるかもしれない。

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2009年05月21日

1046旅 オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』★★★★★

「良い人と一生安らかにいたとて、一生この世の栄耀をつくしたとて、所詮は旅出する身の上だもの、すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて」p25
「一滴の水だったものは海に注ぐ。一握の塵だったものは土にかえる。この世に来てまた立ち去るお前の姿は一匹の蠅――風とともに来て風とともに去る」p42
オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(岩波書店, 1949)

★本の概要
 11世紀ペルシャに生きた学者にして詩人オマル・ハイヤームによる詩集。すべて四行詩(ルバーイイ)で構成されていることからルバイヤートと呼ばれる。19世紀イギリスの詩人が英訳したことを契機に世界で有名になった。

★ルバイヤートは深みへ誘う
 岩波版訳者の小川亮作氏は、ハイヤームは無神論者であり、ルバイヤートはその唯物史観を説いたのだとする。一方でハイヤームはスーフィー(イスラム神秘主義者)でありその世界観を描いたとの説もある。両極端なわけだが、個人的には何か神秘性を込められている気がしている。手元において繰り返し繰り返し唱えたくなるような、底深さを感じるのだ。
「もうわずらわしい学問はすてよう、白髪の身のなぐさめに酒をのもう。つみ重ねて来た七十の齢の盃を、今この瞬間でなくいつの日にたのしみ得よう?」
 「酒を呑む」シーンが幾度となく現れる。井筒俊彦先生も指摘するように、スーフィズムでは神との合一を酩酊したあり様で表すという。ルバイヤートでは、「歓楽」や「学問」を捨てて、いまここで酒を呑めと勧める。頭による知覚の働きを止めて、無意識下にうごめく深き沼に誘われているように思うのだ。
 
★編集後記
 経済関連ばっかり読んでいて少し積もった頭をルバイヤートがぬぐってくれたよう。

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2009年05月18日

1039旅 ジョージ・ソロス『ソロスは警告する』★★★★★

「ある社会現象における参加者の、未来に対する意図や期待がその社会現象の中で果たす役割は、参加者の思考と社会現象の間に双方向の繋がりを作り出すことになる。そして、その双方向性によって、社会現象の展開に不確実性なり偶発性が生じ、一方、参加者の観察事項は知識として不完全なものになるのである」p45
ジョージ・ソロス『ソロスは警告する』(講談社, 2008)

★本の概要
 当代一の投資家ジョージ・ソロスが、進行中の世界金融危機を予測したことで話題になった一冊。個人的には、近代パラダイムを超えた彼の哲学観の説明に心を震わされた。

★ソロスの哲学
 近代啓蒙思想を批判した哲学を持ちあわせたことが、投資家ソロスの成功に関係していたことが興味深い。
 ソロスは自身の哲学を「再帰性」と表現する。英語ではReflexivity。対象に対する言及が、その対象自体に影響を与えること。「合理的期待理論」にみられるように、市場価格は一つの価格に決めることができると従来の金融理論は捉えていた。ソロスはこれを、デカルトに代表される二元論に伴うまやかしと考える。自然現象では、観察する自分(思考)と、対象である物体を二分して捉えることができた。とりわけ社会科学ではこの二元論は全く通用しないとソロスは考える。
 金融市場では、市場に参加している投資家たちの意識が、市場を構成する企業の業績/ファンダメンタルにも影響を与える。双方が複雑に揺れ動くために特定の株価に落ち着くことはない、とソロスは考えた。

★思考が現実に影響を及ぼす
 ファンダメンタルが参加する投資家の意識に左右されるのだから、ソロスが洞察したのはプレイヤー達の意識の状態であっただろう。その意識には本人も含まれる。だから、「背中が痛くて死にそうだから」投資ポジションを変える、なんて不可思議な行動もとったという。
 ソロスへのこうした見方は、金融以外の社会や政治にも応用できるかもしれない。思考と現実をくっきり分けて、世の中の情報を頭で解釈しながら、取るべきアクションを考える。しかし再帰性から考えれば、解釈している時点で現実も変化している。むしろ人々の思考が現実にいかに影響を及ぼしているかを洞察するのだ。

★編集後記
 ビルゲイツやバフェットが事業/投資に成功すると同時に社会貢献を行う。ソロスも金融で成功し続けると同時に政治や社会に発言を行う。自分/社会、思考/行動などを超越した視座を持ち合わせた人間観が、その奥底に眠っているように感じる。成功/失敗、善/悪などと人は知らずに物事を二元化していく。そうではなく、弁証して一体化を目指すことに、何か本質が隠されている気がする。

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2009年05月16日

1033旅 ガルブレイス『新版バブルの物語』★★★★★

「愚者は、早かれ遅かれ、自分の金を失う。また、悲しいかな、一般的な楽観ムードに対応し、自分が金融的洞察力を持っているという感じにとらわれる人も、これと同じ運命をたどる。何世紀にもわたって、このとおりであった。遠い将来に至るまで、このとおりであろう」p156
ガルブレイス『新版バブルの物語』(ダイヤモンド社, 2008)

★本の概要
 「経済学の巨人」ジョン・ケネス・ガルブレイスによる、過去のバブルの歴史とその原因を追究した一冊。初出は1990年であったが、2008年の世界金融危機に際して新版として刊行された。

★レバレッジとバブル
 ガルブレイスが着目したのは「レバレッジ」である。
 17世紀オランダで発生したチューリップ・バブルでは、球根を担保に人々は借金を行い、さらに球根購入を繰り返すことがバブルの原因となった。1929年の世界恐慌の時には、10%の証拠金で株を購入することができたことが投機熱を引き起こし、直前五年間でダウ平均株価は五倍に高騰していた。また1990年の日本バブル崩壊でも、国内不動産が高騰したのを担保にしていた。ネットバブルではネット企業の株式を担保にM&Aが行われていたし、昨年の金融危機も不動産が担保にされていた。
 不可思議に高い価値を元手に、マネーを集め続ける。しかしある日その価値が消え去ると、借金だけが残る。17世紀から今の今まで、その構造に変わりはない。であるならば、何が人に同じ行動を繰り返させるのだろう。

★編集後記
 チューリップや国や企業や不動産が、バブルの対象であり続けた。次は何がくるだろう。ひとつは「個人」であると思う。スポーツ選手や芸能人は既に高い金銭的「価値」をもっているから、投資対象として使われる日も近くはないか。もうひとつは「社会事業」かもしれない。善意でお金を集めるはずのエコファンドやSRI。これらがバブルを引き起こすとしたら・・?

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2009年05月11日

1020旅 M.フーコー『知の考古学』★★★★★

「意識-知識-科学という枢軸を経めぐるかわりに、考古学は言説=実践-知-科学という枢軸を経めぐる。また、諸観念の歴史=思想史が認識の要素中にその分析の平衡点を見出すのに対して、考古学は知において――つまり、主体が必然的に位置づけられ、依存する、がしかし、決して権威者づらできない領域において――その分析の平衡点を見出す」p277
M.フーコー『知の考古学』(河出書房新社, 2006)

★本の概要
 20世紀を代表する哲学者ミシェル・フーコーの四冊目の主著。それまでの三冊は、「狂気」「精神医学」を例にとって、歴史的な考察を行ってきた。その「歴史」を哲学したのが本著である。

★知の考古学とは
 正直に言えば、今の自分にはまだ歯が立たないようだ。本を巡りながら、また戻ってきたいと思う。
 ただ、科学やイデオロギーとは全く別の方法で「知」を捉えようとしている思考があることは分かる気がする。
 科学やイデオロギー下では、ある種の規則(アルシーフ)の中で特定の考え方(ディスクール)、またその考えに基づく表現(エノンセ)が展開される。フーコーは逆転させる。考古学のように、過去に編まれた表現(エノンセ)を取り出して、その考察から各時代でのディスクールやアルシーフを理解しようとしている。
 本著を通じて、世界の人文科学の在り方に強い影響を与えたようだ。

★編集後記
 今日は朝4時起き。寝る時間と起きる時間を変更するだけで、人間のOSは変化するように感じる。


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2009年05月08日

1012旅 ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』★★★★★

「人は自分の脳のなかで起こっていることの大部分にまったく気づいていない。さらに言えば、あなたの行動の大部分は意識されないたくさんのゾンビによって実行されていて、ゾンビたちはあなたの体の中であなた(という「人」)と平和的に共存しているのだ!」p287
ラマチャンドラン『脳の中の幽霊』(角川書店, 1999)

★本の概要
 著者は視覚や幻肢の研究で知られる神経科学者。脳の不思議な仕組みと働きを、先端研究に基づいて理解することができる。

★自分という幻想
 ヒンドゥーには「自己が脳に宿っているという考えは幻想」という考えがある。インドで生まれた著者は、先端脳研究のはてにヒンドゥーと同じ考えに至ったという。
 あるスポーツ選手がバイク事故で腕を失っても「幻の腕」がいまだに存在しているように感じる。失明した漫画家が、むしろ頭の中が幻想的な世界で満たされて創作活動に大きくプラスとなる。脳卒中で倒れた女性は、化粧は顔の右半分のみに施し、食事はトレーの右半分のみを食べるという、半側無視の状況におちいった。やはり脳卒中の女性は手が麻痺したにも関わらず、動いていると見えて感じていた。自動車事故で死にかけた男性は、両親が両親であると考えることができなくなった。
 こうした症例を眺めると、人がこの世界に生きていて身体を持っていると考えているのは、脳というフィルターを通して感じているに過ぎないのだと思わざるをえない。健康であるからといって、我々が見えている世界が真実である保証は一切ない。

★編集後記
 本を読んでいたらGWが終わっていて慌てて親に連絡をしてみると、来週からラオスとカンボジアに行くそうで楽しげだ。何やら国連から連絡が入ってラオスの山奥で技術指導をするそうで、現地テレビからも取材を受けるとか。だから忙しくて会えない、と言われてしまった笑



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2009年05月07日

1009旅 オルダス・ハクスレー『永遠の哲学』★★★★★

「『昔の至人はまずは自分のために道を得て、しかるのちに他人のためにそれを得た』と荘子は述べている。(略)観照を通じて、善い行動をなしうる能力を獲得するよりもむしろ直ちに行動に出ることを好む人たちについて、十字架の聖ヨハネは次のように問うている。『そのような人たちはいったい何を成し遂げようとしているのか』」p500
オルダス・ハクスレー『永遠の哲学』(平河出版社, 1988)

★本の概要
 古今東西の宗教の本質を「永遠の哲学」としてまとめた最強のアンソロジー。小説『すばらしい新世界』や、エッセイ『知覚の扉』でも有名なイギリスの作家が著者である。

★観照のための行動
 27章に渡って興味深いテーマが並ぶが、最後の「観照・行動・社会的効用」の章が、「叡知とリーダーシップ」という今の私のテーマに強く関係する。
 現代では、たとえば瞑想や座禅は、日々の仕事に活用するために行われている側面がある。しかし精神的な伝統では逆である。仕事が手段であって、そのゴールとして観照がおかれるのである。
 聖トマス・アクィナスは「真理が全宇宙の最終目的でなくてはならず、このことを考察するのが知恵の主な仕事とならなくてはならない」とする。仏教においては、八正道のうちの一から七までは準備であって、正定という心身一致の禅定において智慧が完成するという。日々の生活を禅的なものとし、一定の境地に近づけるようにありたい。

★行動から観照そして社会的行動へ
 ただし同時に、一点集中の先が何かには注意が必要だという。とりわけ日本人は、目の前の仕事に集中しすぎて、何を目指しているか不明になっていることが多そうだ。「観照→行動」から「行動→観照」の流れはよいが、本質からズレないように観照をセットせねばならない。そのためにも精神的な伝統は、観照をへて社会的な行動へと促す。「行動→観照→社会的行動」の上下道によって、人は人であり続けることができる。

★編集後記
 図書館で借り物。書店よりも図書館においてある書籍の方がワクワクさせられるなあ。

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2009年05月06日

1005旅 井筒俊彦『神秘哲学 第二部 神秘主義のギリシア哲学的展開』★★★★★

「自然的人間にとっては本来不可能であるはずの形而上学をあえて成立せしめるために、哲学者は自ら先ず脱自的に超越的主体とならなければならないのである。プラトンからプロティノスに至るギリシアの代表的哲人達は、いずれもかかる見地に立って、いわゆる観照的生を哲学的思索の根底に置いた人々であった。この意味において、彼らはいずれも鉄学者である以前に神秘家であった」p8
井筒俊彦『神秘哲学 第二部 神秘主義のギリシア哲学的展開』(人文書院, 1978)

★本の概要
 1000旅で扱った井筒先生の『神秘哲学』第二部。ギリシア哲学の中心人物であるプラトン、アリストテレス、フロティノスとその神秘主義からの影響が解説される。近代哲学・科学の源流とも言える彼らへの神秘主義の影響は、とりもなおさず現代と神秘主義を考える上での大きなヒントとなる。残念ながら絶版中だけれど、関心がある方は是非とも一読頂きたい。三人を基点に、人類が脈々と築いてきた世界観の深さに血が騒ぐはずだ。

★プラトンとアリストテレス
 プラトンとアリストテレスの違いは何か。プラトンはイデアを考案し、アリストテレスはそれを批判して近代合理主義の礎を築いた程度の理解でしかなかった。井筒先生は、二人の思想の根底に神秘哲学観が潜むと見る。
 オルフェウス/ピュタゴラスから連なる、密儀宗教精神の継承者がプラトンである。対して、宇宙=神ととらえるミレトス的自然学を継承したのがアリストテレスだとした。
 アリストテレスが合理的で進歩的とするのは、近代合理的な表面的な視点でしかない。むしろプラトンがみた叡知的世界をより純化させて世界を捉えたのだと井筒先生は考えた。

★プロティノスとプラトン
 プロティノスは、アリストテレスがみた世界/宇宙をさらに純化させて「一者」を設定した。井筒先生は、ここでプラトンとプロティノスの違いに着目する。
 プラトンは宇宙万有の始原を極めながらも、そこで現実世界に戻って後進のために歩むべき道を指示した。対してプロティノスは独り観想にふけり、自らが神秘道を極めたのみだったという。したがって世評と異なり、プラトンが神秘家で、プロティノスは形而上学者だと考えた。

★編集後記
 9/26に、世界連邦21世紀フォーラムで「叡智とリーダーシップ」で話をすることになっている。直観的につけたタイトルだけれど、本著を読んで何を語るべきかがはっきり見えた。この現代において叡知に向かい、そして現実世界であたかも狂人の如く活躍するリーダー像を描きたいのだ。マホメットやチェゲバラがきっとそうであったように。9月まで、その探究を続けていきたい。
http://www.wfmjapan.com/program02.html 

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2009年05月04日

1000旅 井筒俊彦『神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア』★★★★★

「ギリシア的思惟の底には、少なくとも密議宗教的な神秘体験のパトスが渦巻いていることもまた事実であり、このパトスの地下の声に耳を傾けることもギリシア哲学にたいする正しいアプローチの一つではあると私は今でも確信している」p4
井筒俊彦『神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア』(人文書院, 1978)

★本の概要
 1,000冊目は井筒俊彦先生の本にすると決めていた。しかも、先生が慶応大学文学部助手だった頃の最初の講義をまとめた本をである。初版の発行は昭和24年。実に60年前、先生が35歳の時に発刊された一冊だ。
 内容は、プラトン、アリストテレスに代表されるギリシア哲学史を、神秘主義の切り口から切りなおした内容。色褪せて見えたあの哲学者達が、先生の手にかかれば、鮮やかによみがえる。本著は第一部。プラトン以前の哲学者たちが登場する。

★二つの世界観
 井筒先生が本著でかかげた主題の一つは、ギリシア哲学の源流に二つの霊魂観がある点である。
 一つは内的霊魂観。魂/意識はそもそも彼岸(異なる次元)にあるのであって、この生の瞬間だけ肉体に宿り、死してまた彼岸にもどる世界観。デュオニソス信仰に源をもち、ピュタゴラスの輪廻転生説を経て、万物流転を捉えたヘラクレイトスに至る思想である。
 いま一つは外的霊魂観。霊魂とは自我や個体ではなく、全宇宙運動の原理そのものと捉える。自然学派とよばれ、西洋哲学史の原点とみなされるミレトス学派、クセノファネス、パルメニデス、タレス、そしてアリストテレスにつらなる流れである。

★宗教と科学へ
 二つの世界観はプラトンで一瞬繋がりながらも、その後も二つに分かれる。現代で言えば前者は宗教に、後者は科学につながり、いまだに争いあっていると言えるだろう。
 井筒先生は、ギリシア哲学史を舞台に、現代にも通じる主観・客観の大問題の構造を捉えてみせた。

★編集後記
 旅は1000冊をむかえた。1000といっても知識がその分増えた訳ではない。単なる知識はすぐに記憶から外れてしまう。しかしこの旅は続けようと思う。読書は知識を得るためのものではなく、自分の内面の底深さを知るためにあると、はっきり分かったからだ。読むほどにシンプルになる読書。また、黙々と読み進めていく。

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