2009年05月04日

999旅 藤沢武夫『経営に終わりはない』★★★★★

「『私は商売人だから、これから一緒にやるけれども、別れるときに損はしないよ。ただし、その損というのは、金ということではない。何が得られるか分からないけれども、何か得るものを持ってお別れするよ。だから、得るものを与えてほしいとも思うし、また得るものを自分でも創りたいと思う』『うん、結構だね』と本田はいって、それだけで決まっちゃった」p18
藤沢武夫『経営に終わりはない』(文藝春秋, 1998)

★本の概要
 本田宗一郎とコンビを組み、副社長としてホンダの経営を支えてきた藤沢武夫による半生記である。繰り返し書いているけれど私が最も尊敬する経営者であり、本著も最もお奨めしたい経営書である。随分前に読んでいたけれど、記念すべき1,000冊を手前として、まとめておきたいと思った。

★二つの意味で時代を超える
 980旅『松明は自分の手で』では、藤沢武夫経営の要諦は「一体性」にあるとした。さらに付け加えるとすれば、「超時代性」だと思う。
 時代を超えるといえば、先進性である。戦後日本の経済成長を信じて、ひたすらにオートバイを生産していく。銀行を味方につけながら、資本金の25倍もの設備投資を行った程である。町工場の段階からオートバイの世界レースへの参戦を宣言したり、自動車開発以前に、鈴鹿サーキットを建設もした。
 下手に時々の雰囲気に便乗しないのも、超時代性である。オイルショックの苦境時にもあえて「値上げをしない」宣言をしたり、コンピュータ登場当初も、人が自分の頭で考えることを重視するために、導入をギリギリまで控えた。また技術開発が、景気の浮き沈みに影響がないよう、本社から独立させてもいる。

★万物は流転する
 藤沢武夫がしばしば口にしたのは「世の中には万物流転の法則があり、どんな富も権力も必ず滅びる時がくる」との言葉であった。
 滅びゆく力と創りだす力の葛藤と矛盾の中で、ギリギリと前に進むのが経営だろう。ある瞬間に成功を得たとしても、その方法論に安住した瞬間に、マイナスの力に取り込まれ消え去ることになる。だからこそ、藤沢武夫は組織図を何度も何度も書き直したし、早くに経営からも一線を引こうと考えていた。
 本田宗一郎の技術力と、藤沢武夫の経営力もあっただろう。それ以上に、二人の若さが持続できたことに、ホンダの発展があったのだろう。

★編集後記
 高松に向かう飛行機の中で書いている。上空からみる街々は万物流転の只中にいると、地上にいるよりも強く感じる。自分自身も流転しているのであって、多少でも得られた経験やら知識は、いそいで若い人たちに繋げていきたい。

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2009年05月03日

997旅 ミヒャエル・エンデ『モモ』★★★★★

「時間をケチケチすることで、本当は全然別のなにかをケチケチしているということには、誰ひとり気がついていないようでした。自分達の生活が日ごとに貧しくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、誰ひとり認めようとはしませんでした」p106
ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店, 2005)

★本の概要
 『はてしない物語』で有名なエンデの、もう一つの代表作が『モモ』。人々を密かに忙しくしてしまう時間泥棒が登場し、子どもよりもむしろ大人が共感してしまう不思議なストーリー。

★環境に自分を奪われる
 時間を奪われる人々を自分、時間泥棒を環境と見立てて読んでみる。
 店主は店の売上を気にし始め、売上につながらない客を追い出すように。その果てはコンビニエンスストアの経営をして、客との交流は一切マニュアル化してしまう。
 床屋の店長も、時間を気にして顧客とのやりとりは極力減らし、従業員も分単位で管理する。
 観光ガイドは、自分の話を本にラジオにのせ、三人も秘書を雇って事業を拡大する。
 都市の時間の流れやら、年収競争やら巻き込まれれば、何をやりたかった曖昧になり、「規模が大きければ成功だ」「お金がまわれば世の中ハッピー」等と勝手に解釈していく。自分も、何度もそんな方向に向かいそうになったことか。環境に目を奪われず、自分の内なる心を見るしかない。
 そしてモモとは誰か。エンデが設定したように、自分よりも後の世代のことだと思う。彼ら彼女らは、がんじがらめの状況も直観で理解できるし、その先の何かも見えてしまうと思うのだ。

★編集後記
 灰色のスーツ姿をしていることから、時間泥棒は日本人なんじゃないか、という意見もある。でも、日本人は時間を盗まれている側だなあ。
 むしろ時間泥棒は、経営コンサルタントのことだろう。物語の中でも、時間をいかに無駄にしてきたかを定量化してみせて、危機感を煽っている笑。そしてコンサルティングの領域を越えて、マネー(この場合時間)の根本を抑えようとしている辺りとか・・。
 奪うのではなく、意味を与えていくような存在になれるのだろうか?

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2009年04月27日

981旅 フランクル『それでも人生にイエスと言う』★★★★★

「未来が無いように思われても、怖くはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ち受けているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです」p28
フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社, 1993)

★本の概要
 ナチスドイツによる強制収容所での体験を綴った『夜と霧』で著名なのが、フランクル。収容所から生還した翌年の三つの講演をまとめたのが本著だ。

★人生が、私を動かす
 久々にヒットだ。この本の言葉は、これからも繰り返し繰り返しかみしめるような、そんな予感がする。
 フランクルは、「人生とは何か?」に対して、一つの考えを提示する。
 過酷な状況になると、「自分の人生にはもうなにも期待できない」と考えがちだという。強制収容所でも、そうした人は残念ながらすぐに命を落としていった。一方で、同じ状況でいながら、生きながらえる人もいたそうだ。そうした人は『私は、人生になにを期待できるか』とは考えなかった。『人生は、私になにを期待しているか』と考えたのだという。
 「自分」の意味が違うのだ。この頭と体のみを自分と捉えると、感じる環境の中で苦しむ。そうではなく、世界すべてを自分と捉えれば、この肉体がおかれている意味を問い直すことができる。そのことを、フランクルは極限状況で気づく。

★極限まで、価値と意味がある
 フランクルの考察は続く。ではこの肉体が生きる意味とは何か。
 元気に仕事ができるならば、「創造」という価値を生じさせることができる。仕事が無意味だとしても、余暇さえあれば、この世の中の芸術や愛を「体験」することでの価値を生み出せる。もしも病で体が不自由な状況に陥っていても、周囲を思いやるなどといった「態度」による価値を生じさせることができる。
 生きている限り、いかなる苦境にあったとしても、価値と意味がある。死の極限までも。フランクルの言葉は、自分の生き方に対して、一筋の光を差し込んだ。

★編集後記
 久々に朝から晩までずっと仕事。全然別の内容だったけれど、まさに自分が世界に試されているような、一本の糸で貫かれているような、そんな感覚がある。

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2009年04月21日

964旅 リースマン『孤独な群衆』★★★★★

「わたしは、日本人が自ら悪徳と思っているもののなかに祝福をこそ見出すべきではないか、と言いたくなるのであった。他人指向的であり、状況的である、というのは、狂信的で排外的で、他人のことをいっこう気にかけない態度を日本人がすでに克服したということに他ならないのではないか」p2
リースマン『孤独な群衆』(みすず書房, 1964)

★本の概要
 リースマンはアメリカの社会学者であり、その代表作が本著。人間の社会的性格が、伝統指向型→内部指向型→他人指向型へと変遷していることを説明した。

★ハイブリッドである他人指向型
 リースマンが本著を記したのは1950年だが、他人指向型の特徴はますます増している。
 伝統指向型とは、コミュニティの規則に依存する生き方。内部指向型とは、自らのパーソナリティに従う生き方。他人指向型とは、外部の他者の期待に敏感な生き方となる。
 伝統指向社会では、他人はみな仲間であって、一つの状態で葛藤なく生きることができた。内部指向社会では自分の信条にさえ従えば、やはり葛藤なく生きることができた。
 他人指向社会は異なる。他人は自分を監視する存在であって、自分と他人との違いの中で、あらゆるペルソナを作りながら生きざるをえない。
 ただし、見方を変えれば、他人指向型の人間は、「ひとつ」と「ひとり」をハイブリットした存在ともいえる。矛盾もはらむが、その分、この先の人類に繋がるとも言えないか。

★編集後記
 最近、ますますパワーポイントが必要ないように思えてきた。その権化たるMcKinseyだって、昔はシンプルな手書きの発表だったのだ。

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2009年04月19日

957旅 ムハマド・ユヌス『ムハマド・ユヌス自伝』★★★★★

「私たちの祖先がこの星に生まれたとき、彼らは求人市場で雇用主を探す準備などしなかったはずだ。(略)彼らは自分の運命に自ら責任を負っていたのだ」p301
ムハマド・ユヌス『ムハマド・ユヌス自伝』(早川書房, 1998)

★本の概要
 貧困にあえぐ女性達に、無担保融資を行うマイクロクレジット。その仕組みを考案し、2006年にはノーベル平和賞もとったムハマド・ユヌスの自伝である。

★今に生きるユヌス
 ユヌスの哲学とは何か。それは「今・ここ」に行きる人々を信じることであったように思う。
 経済学では、賃金雇用されることでの貧困脱却を目指す。ユヌスは違う。自己雇用、すなわち自分の力で商いを行うことでの自律を目指す。
 国際機関は、貧困層にトレーニングを行う。ユヌスは違う。まずはお金を渡し、本人が持つ生きる力で商いを始めることを促す。
 ユヌスは、これまでの「あるべき姿」たる、イデオロギーや銀行や政府に従わず、自らの考えを信じて行動した。
 これまで・これからではなく、今目の前の自分と貧しい人々。それだけから、ユヌスは新しい世界を創造した。

★編集後記
 赤坂港カフェでのイベントで、三冊交互に読んでみては? と清水君に言われて試したのだけど、これがいい! 3はやはり良い数字みたい。

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2009年04月16日

949旅 見城徹『編集者という病』★★★★★

「私達には今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよいことだと感じています。私達を縛る出版界の常識もありません。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことができます。その戦いのさ中で、読者の胸元にくっきりと届くものを送り続けます。そして、その集積でこの世界の何かを変えたいと願っています」p291
見城徹『編集者という病』(太田出版, 2007)

★本の概要
 幻冬舎・創業者の見城徹氏による、編集者にかけた半生がえかがれた一冊。仕事人であれば、誰もが血をたぎらせる本だろう。

★編集者という狂気
 尾崎豊、坂本龍一、松任谷由美、石原慎太郎、村上龍といった時代の逸材が、見城氏のみを信頼して本を書いている。300人の著者に対して3つの切り札があるという。
 そこには偶然性はなくて、見城が彼らをひきつけた強烈なスタイルがある。
 そのスタイルとは間違っても「スキル」や「やる気」などではない。一言でいえば、「狂気」だろう。
 一人の作家が本を書くまでに10年以上つきあう。毎晩毎朝まで飲み続ける。あるいは幻冬舎を立ち上げてからの常識を無視した戦術。表面上のマネすらもできない行動力。
 こうした本を読むと、狂気の淵にまた一歩自分が押しやられてしまう。

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2009年04月15日

944旅 ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』★★★★★

「競争資本主義とは、経済活動の大半が民間企業によって自由市場で行われるような仕組みを指す。このような自由競争による資本主義は、経済における自由を保障する制度であると同時に、政治における自由を実現する条件でもある」p28
ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(日経BP社, 2008)

★本の概要
 ノーベル賞経済学者で、市場原理を重視したミルトン・フリードマンの代表作。郵政民営化、教育バウチャー、規制撤廃による自由放任主義を目指しており、レーガン、サッチャーから小泉に至る新自由主義の理論的支柱となっていた。

★政治と経済の自由のために
 フリードマンが自由放任を貫こうとしたのは、政府による規制が経済と政治の自由を著しく損なう点からだ。
 自由主義の社会にあっては、容易に資金源を得ることで反体制的な活動も可能になることから、政治面での自由があることが分かる。太平洋戦争以前の日本は、政治的に統制されていたが、民間経済の自由はあった。そのため、不完全にせよ職業変化の自由などの十分な余地があった。しかしナチスドイツ、スターリンロシアでは政治・経済共に国が完全に掌握しており、国民の不自由さは極致に達していた。今ならば北朝鮮やキューバが同様の状況であろうか。
 こうした時代認識から、国家が政治または経済を統制する動きを、できうる限り減らそうと考え、フリードマンは本著を記した。

★国の限界
 現代では、極端な市場万能主義はもはや退けられている。といっても、国が財政出動を行って経済を立て直すのもまた限界があるように思う。グローバル化/フラット化は止められないからだ。国を越え、企業でもない第三の主体が求められているように思う。



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2009年04月13日

940旅 ダグ・ハマーショルド『道しるべ』★★★★★

「1956年12月24日 自分のしていることが《必要》なことなのだとおまえが感じたとすれば、喜ぶがよい。しかし、その場合でさえ、神はご自分の目的のために創造なさった全宇宙に、おまえを通じてごく少量のものをつけ加えられたにすぎず、おまえはこうして神の道具となったに過ぎないのだということを、忘れずにいるがよい――12月28日、国連総会、全会一致で日本の加盟を承認」p140
ダグ・ハマーショルド『道しるべ』(みすず書房, 1967)

★本の背景
 第二代国連事務総長であり、死後にノーベル平和賞にもなったハマーショルドが、その激務のさなかに静かにつづっていた日記。日記といっても仕事の内容や人の話は一切でない。みずからの内面との精神的な対話になっている。

★ハマーショルドと使命
 ハマーショルドは1961年に事故死となる。その晩年の日記の中では、キリスト教神秘主義にもとづき、自らの仕事は神が計画した大いなる使命だとの認識を示している。
 その覚悟に、強く胸を打たれる。

★後記
 これほど高い精神性をもつリーダーは、全くの稀だろう。本来高い精神性を誇っていた日本が復活し、世界を思想的にリードする存在は生まれるだろうか。

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2009年04月06日

919旅 トーマス・フリードマン『フラット化する世界 下』★★★★★

「グローバリゼーション1.0では、国が、グローバルに栄える方法か、最低でも生き残る途だけは考えなければならなかった。グローバリゼーション2.0では、企業が同じように考えなければならなかった。いまのグローバリゼーション3.0では、個人が、グローバルに栄えるか、せめて生き残れる方法を考えなければならない」p9
トーマス・フリードマン『フラット化する世界 下』(日本経済新聞社, 2006)

■本の背景
 前回に続いて『フラット化する世界』の下巻。フラット化する世界に対しての、アメリカ、発展途上国、企業がいかに対応すべきか、しているかについて述べられていく。

■個人のフラット化へ
 フラット化は、個人にとってピンチでありチャンスである。
 適応せずにじっとしていれば、今後日本人の仕事も中国・インドに取って代わられる。
 ただし現時点ならば、日本人の持つ技術と商圏は第三国に対して魅力的である。しかも、あなたが優秀な商社マンでなくたって、少しの英語とPCスキルがあればビジネスを開始できるインフラは整っている。

■編集後記
 ちなみに私の家族は年上ほどフラット化が進んでいる。弟は大手企業に勤務。私はコンサルティング会社にいた。しかし兄はフリーで音楽の仕事をしている。そして母は60歳手前にして独立し、去年一年間はラオスで仕事をしていて、たった今もカンボジアに出張している。母に負けられない。

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2009年04月05日

918旅 トーマス・フリードマン『フラット化する世界 上』★★★★★

「世界中の人々が、ある日突然、個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気づいた。世界中の個人が競い合っているのを、これまで以上に意識しなければならなくなり、しかもただ競い合うのではなく、協力する機会もまた飛躍的に増えた」p24
トーマス・フリードマン『フラット化する世界 上』(日本経済新聞社, 2006)

■本の背景
 『レクサスとオリーブの木』を書いた有名ジャーナリストによる、グローバリゼーションの実情を書いた一冊。インド/中国/デル/グーグル等への膨大な取材が基礎となっていて実態がつかみやすい。

■フラット化する世界への道筋
 インド/中国がビジネスのあらゆる機能を安価に提供していること。そうした仕組みを活用したデル、ウォルマート等が勝ち組になったことは分かるだろう。
 三つの収束によって、世界はフラット化したとフリードマンは整理する。
 第一は、10のフラット化要因が重なり合ったこと。10は本著に詳しいけれど、ネットインフラの普及、インド・中国の目覚め等である。第二はそうした世界に対して、中国・インド・旧ソ連からビジネスプレイヤーが大挙参入したこと。第三は、共同作業を安価に実現する仕組みが発達したこと。
 フラットな世界への日本社会の巻き込みは、これから加速するだろう。

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2009年04月03日

914旅 トム・ピーターズ『セクシープロジェクトで差をつけろ!』★★★★★

「1.プロジェクトの一部について、どういう実地テストができるかを、紙一枚にまとめる。いますぐ。2.手元にある材料をかき集め、できるだけ安あがりの方法でテストする。いますぐ。3.テストする場所を提供してくれ、意見を聞かせてくれるパートナー兼お客さんを探す。いますぐ」p189
トム・ピーターズ『セクシープロジェクトで差をつけろ!』(阪急コミュニケーションズ, 2000)

■本の背景
 経営の「グル」とも賞されるコンサルタントの著者による、プロジェクトを飛びぬけて格好よく変えるための一冊。仕事の方法論を説明する意味で、個人的に最高の本だ。

■大量に試作する
 仕事をつまらないと思う人は多いかもしれない。同時に、世の中を変える仕事につく人は必ずワクワクしている。どうすれば仕事に興奮できるのか?
 本著には200以上のアクションが掲載されている。その中の一つが、三日以内に試作品を作れ、というもの。
 面白いと思っても大抵は勘違い。でも始めてみないと分からない。現実には始める前の企画書づくりで三か月かかる。
 紙作りの時間をすっ飛ばして、三日で試作品を作る。ピンとこなければ違うことを始める。一か月もたてば、自分の真にやるべきことが見つかる。
 自分を貫く根本思想を信じて、大量の実験を今すぐ始めたい。そうしてソニーもホンダも生まれたのだ。



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2009年04月01日

906旅 岸康彦『食と農の戦後史』★★★★★

「1961年、ちょうど高度経済成長が始まったころに制定された農基法は、経営規模が零細で生産性の低い日本農業の構造を改善し、産業としての農業を確立しようとしたものである。(略)しかし事態はその目論見通りには進行しなかった」p323
岸康彦『食と農の戦後史』(日本経済新聞社, 1996)

■本の背景
 「食」と「農」は切り離せない関係にも関わらず、二つを俯瞰的にみた視座は意外に見当たらない。戦後日本で食と農がいかに発展し、どんな壁に突き当たったのかを俯瞰したのが本著。著者は元日経の論説委員である。

■農が解決できなかったこと
 農業政策のねらいは、農業人口をゆるやかに減らしながら、残った農家の規模を大きくし、生産性を上げることにあった。
 しかし、農地を売ることも貸すこともせず、兼業化を進めていった。そのまま30年以上が経過し、新たな農業の担い手が増えないまま、荒れた農地だけが残っているのが日本農業のいまである。
 農業に関心を向ける若者は少なからずいる。農業技術の伝承を急がなければ、農業は壊滅するリスクがある。

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2009年03月30日

900旅 スティーヴン・デイビスほか『新たなる資本主義の正体』★★★★★

「新資本家は同時に消費者でもあり、社員でもあり、市民でもある。これまで草の根市民組織が、資本市場と株主の力をテコにして、企業行動に影響をおよぼす革新的な方法を開拓してきた」p257
スティーヴン・デイビスほか『新たなる資本主義の正体』(ランダムハウス講談社, 2008)

■本の背景
 企業のオーナーは、富裕層でも銀行でも社員でもない。年金基金を通じて、無数の市民が企業を支配しはじめている。ただし、そのポテンシャルにも関わらず、多くの企業の行動は市民の意識とかけ離れているように見える。
 本著は、そうした新資本家の実態と、実質的に機能するための方法論が説明されている。

■NPO/社会企業家の役割
 新資本家の潮流の中で、NPO/社会企業家の戦略は大きく変わると考えられる。
 従来の方法論は、グリーンピースに代表される実力行使や、政治的なロビイングであった。これからは違う。市民の声を代弁することで、機関投資家を通じて直接経営に参画することを目指すのである。
 社会起業家というと、社会課題をビジネス手法を用いて解決する方法だとみなされる。加えて資本の論理を熟知することで、これからは大手企業経営に参画する時代も遠からず訪れるだろう。若い社会起業家は、そうしたタイミングに備え始めるべきである。

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2009年03月28日

895旅 盛田昭夫『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』★★★★★

「私はこの製品(ウォークマン)が完成しない前すら、若者の財布に見合うような値段にしなければならないと決めていた。(略)経理担当は反対したが、私は断固として譲らなかった。それなら最初は『プレスマン』より安いものをベースとして出発すべきだと彼らは言ったが、『プレスマン』は機械として信頼がおけるうえに、部品の多くは世界各地のわが社のサービスセンターで入手できるという理由から、私はこの方針を変えなかった」p147
盛田昭夫『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』(朝日新聞社, 1990)


■本の背景
 ソニーの共同創業者である盛田氏による自伝的著書。米国で先行発売されており、日米の経営思想の違いを問う狙いがあった。
 MADE IN JAPANと言えば、粗悪品のイメージがあったが、ソニーらの活躍により、むしろ高い品質を示す言葉となった。その意味合いも込められている。

■盛田昭夫の商法
 本著は、一流のマーケティングの教科書とも言える。
 ウォークマンは単なるアイデア商品ではない。専用のラジカセがほしい若者に対して、品質をそのままに付加価値もつけて、なおかつ購入可能な値段に設定された商品であった。
 どうもマーケティングはMBAに習う難解な方法論、それゆえに役に立たないと言われる。そんなことはない。買えないけれど本当は製品を欲しがる顧客は大勢いる。彼らに、良質な製品を安価に提供できるビジネスモデルを構築すれば、必ずや売れるのだ。


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2009年03月24日

885旅 真木悠介『気流の鳴る音』★★★★★

「人間が暗闇の中で走りたくなるのは、必ずしも恐怖に駆られてではなく、『しないこと』を知ってよろこびにわいている身体の、きわめて自然な反応でもありうるのだと言う。そして何度も何度も、『わたしがやり方を知っていることをしない』というのが力へのカギなのだ、と耳元でささやく」p110
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房, 2003)

 社会学者・見田宗介氏のもう一つの名前が真木悠介。従来の社会学の範疇では語りえない内容を扱う場合は、このペンネームを使うそうだ。
 アメリカ先住民ヤキ族のシャーマンを語ったカスタネダ氏の著作がベース。「恐怖」「明晰」「力」「老い」の四つの壁を乗り越えて、美しい道を静かに歩むための在り方が説明される。 
 自分の思考パターンによって、全ての喜怒哀楽は決められる。その枠組みを乗り越えるためには、一度自分の思考をストップし、身体性を意識する必要がある。

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884旅 松下幸之助『松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書』★★★★★

「水道の水はもとより価のあるものだ。しかし道端の水道を人が飲んでもだれもとがめない。これは水が豊富だからだ。結局生産者はこの世に物資を満たし、不自由を無くするのが努めではないか。(略)そしてこの使命達成を250年目と決め、25年を一節、十節で完成することにした」p36
松下幸之助『松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書』(日本経済新聞出版社, 2001)

 「私の履歴書」という、時代を代表する経済人・文化人らが自伝を綴るコーナーが日経にある。松下幸之助は、61歳と81歳の二回連載しており、その二つをまとめたのが本著だ。日本を代表する経営者が何を考え、いかに動いたかを理解できる一冊だ。
 38歳の時に、松下幸之助は会社のビジョンについてインスピレーションを受け、14年経過したにも関わらずそのタイミングを松下電器(現、パナソニック)の創業記念日にしている。それが、電気製品を水のように人々に提供したいという水道哲学だ。その哲学の完成を彼は250年先だと考えていた。
 それから77年経過しているが、ネットの普及も含めて、幸之助のビジョンは達成されつつあるように見える。
 さて、今から250年先の世界には何があるのだろう。



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2009年03月23日

882旅 ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』★★★★★

「童話《赤ずきん》を宇宙進化についての作品とか哲学書、あるいは奔放なエロティックな文学作品と解釈することもできる。(略)そしてそうしながら心の中で知識と回想と無数の国々をくまなく散歩することができる」p70
ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』(草思社, 2004)

 「車輪の下」「デミアン」の著者であるヘッセによる読書論。『読んでいない本について堂々と語る方法』も良かったけれど、個人的にさらに影響を受けそうだ。
 ヘッセは読書の段階が三つあると考える。一つめは、本の中身に没入あるいは評論する段階。二つめは、本を書く著者がその本を綴った意味と共鳴する段階。三つめは、本は単にきっかけとして自らが創造の海へ飛んでしまう段階。
 世の中の全知識を得たいと思って本を読み続けているわけではない。自分の中に知識をこえたすべてが詰まっているのは直感的に分かっていて、その宇宙に飛びこむためのカタパルトとして本を読み続けているのである。

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2009年03月19日

871旅 神谷美恵子『生きがいについて』★★★★★

『独房のなかで死と直面していようとも、肢体不自由の身で島にとじこめられていようとも、自分の生は全人類の生の一部であり、自分は皆に対して意味と責任を担っているのだと思い至る時、ひとはしっかりと顔をあげて堂々とその生を生き抜くことができる』p188
神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房, 1980)

 著者は精神科医であり、ハンセン病療養施設での勤務経験から、「生きがい」とは何かを深く考察した。
 生きがいを失った人が、再び生きがいを取り戻す事例に感銘を受ける。人々の中での自分の位置づけを知る社会化。時間の流れの中から自分を知る歴史化。心の深みの中での自分を知る精神化。生きがいには三つの成り立ちがあるという。
 起業家として成功するには、原体験が必要だと言われる。ただし原体験とは何かを突き詰めたことはなかった。本著を読んで、「生きがい」を見いだすような体験のことを原体験と呼ぶのだと理解した。

□編集後記
読む量以上に本を買いすぎて、いまや400−500冊ほど積ん読されています笑。チャート化を少し控えて、読む冊数を増やしてみたいと思います。

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2009年03月18日

869旅 河合隼雄『明恵 夢を生きる』★★★★★

「コスモロジーは論理的整合性をもってつくりあげることができない。コスモロジーはイメージによってのみ形成される。(略)明恵にとっては、何を考えたか、どのような知識をもっているか、などということよりも、生きることそのものが、深い意味における彼の『思想』なのであった」p102
河合隼雄『明恵 夢を生きる』(講談社, 1995)

 鎌倉時代に華厳宗を立て直したのが明恵。また生涯の夢を記録し、また夢に生きた僧侶でもあった。その夢と人生を綴ったのが、夢分析の第一人者であった河合隼雄。「仏教と夢」「夢分析の歴史への展開」「華厳経の意味合い」「仏教における女性の意味合い」など、興味深いテーマが数多く記されている。
 中でも、イデオロギーとコスモロジーの対比がわかりやすい。

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 親鸞・日蓮がイデオロギー的僧侶を代表する。ロジックが明快であり、物事の善悪を切り分ける。
 一方、明恵や空海はコスモロジー的僧侶だという。AとBを切らずに包みこみ、物事をイメージで語る。
 西洋合理主義が進んだ明治以降は、イデオロギー的な鎌倉仏教が注目された。しかしポストモダンに突入した今日では、空海が注目され、また明恵も興味深いと河合隼雄は考えた。
 ポストモダンな教科書を考えてみれば、親鸞・日蓮といった観念的な僧侶よりも、イマジナルな空海や明恵が取り上げられるかもしれない。正邪も矛盾も丸呑みする「あり方」を模索したい。

□編集後記
ご心配おかけしましたが、葛根湯と栄養ドリンク(龍源30という謎の飲み物)で風邪も吹き飛んだ模様。まあ養生します。

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2009年03月16日

865旅 ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』★★★★★

「創造そのものが、その対象が何であろうと、書物から一定の距離をとることを要求する。というのも、ワイルドが示しているように、読書と創造とのあいだには一種の二律背反が見られるのであって、あらゆる読者には、他人の本に没頭するあまり、自身の個人的宇宙から遠ざかるという危険があるのだ」p218
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房, 2008)

 フランスの精神分析家による、読書人生とは何かを深く考察する一冊。
 本は借金のようなもので、読むほどに読みたい本は増え続ける。読者家ほどに、本を読めていない自分に苛まされる。こうしたパラドックスの解決を本書は提示する。

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 自分ではなく本を理解しようとするのが問題なのである。簡単な一冊の本であっても、そこに書かれた内容を深めるためには何十冊の本が必要になる。スピードを上げようと速読やフォトリーディングを誰もが試すけれど、恐らくそうした人ほど、もっと読書スピードを上げたいと思っている。
 著者は本を語るのをやめ、自分を語るべきだと言う。そのためには本を読む必要もないし、内容をでっちあげても良いとする。その事で、本を活かしつつ、自身も創造的なアクションを取ることができるという。
 全く同感。これを受けて再び一日二冊の読書生活に戻ろうと思う。

□編集後記
 確定申告。平日昼から税務署に並ぶのは怪しげな雰囲気の人ばかり。自分もその1人だろうけれど。

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