2015年03月29日

地方の王国(高畠通敏、2013)★★★★ー1605旅

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国立劇場の桜。(3月29日撮影)

「田中(角栄)はまさにその"あちら"側の牙城、東大出の官僚の集団の中にのりこんでゆき、彼らから『所詮、土建屋』と陰口を叩かれながら、しかしその彼らを堂々とつかいまくってきた」
「彼ら(田中角栄、中川一郎、浜田幸一)が企図したのは、戦後の大衆化に即応した彼らなりの民主化(大衆の生活利益の確保)と近代化(開発)の遂行であった」

 1986年初出の本です。中選挙区時代は地域の意思によって国会議員が選ばれていて、道路や施設といった形でダイレクトに地域に利益を誘導されてきたことがわかります。
 小選挙区時代となり、国全体の「世論・論点」によって議員の当選落選が決まるようになりました(たとえば郵政、たとえば政権交代)。その分、国会議員と地域の繋がりは弱まりました。
 ただし、岡本全勝さんがいうように(http://retz.seesaa.net/article/247691714.html )、中央のお金や制度を地方にひっぱってくる時代ではなくて、むしろ地域が現場になる時代です。その意味では、30年前とはことなって、むしろ都会からよそ者人材を地域地域に送り込み、そこで新しい社会づくりを行う必要があると考えます。
 復興支援員や地域おこし協力隊、日本版シティマネジャー(地方創生人材)といった取組は、そうした構図の中に位置づけられています。

■藤沢烈からのおしらせ
□藤沢烈の新著が3月11日に講談社より発売されました。『社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場』。購入は→http://ow.ly/JI7F3
□『「お金でも制度でもない、被災地には人材が足りない」 藤沢烈さん』(9/8、毎日)→http://bit.ly/1wkPtBb
□東北復興に関心ある方は、twitterとfacebookのフォローをお願いします→
https://twitter.com/retz
https://www.facebook.com/retzfujisawa
(了)


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2012年05月10日

宮古市の復興が早い理由と、残された課題

 被災地の中でも、復興スピードが早いのは岩手県宮古市だと言われます。例えば比較的同規模の人口の宮城県気仙沼市と比べてみますと、気仙沼市は震災後に人口が6パーセント減少しましたが、宮古市は2パーセントに留まっています。その理由は、宮古市役所が県・国とも連携しながら地場中小企業を全面バックアップしたからです。その施策について、宮古市役所産業支援センターの佐藤日出海所長が『震災復興と地域産業1』(関満博編、2012)に寄稿しています。紹介します。

■水産加工業者は9割事業再開
 宮古市内で、床上浸水以上の被害を受けたのは1108事業所だったそうです。そのうちサービス業が524、商業が350。また水産加工業は57事業所のうち45が被災したそそうです。このうち、40事業所は再開を果たせています。その裏側には、宮古市の迅速な支援がありました。

■ワカメの種付のために支援を急ぐ
 最初に打ち出された支援は、震災から3週間たたない2011年3月30日でした。事業所の資金繰りを支援するために、利子補給を宮古市は実施します。また設備を貸与することで事業再開を支援しました。金額は10年間で2.8億円。全額、宮古市が負担しています。
 6月10日には、漁協に対して費用の8/9を補助する補正予算8.9億円が、宮古市議会に提案され可決されています。これも宮古市の単独費です。お盆前にワカメの種付けを終えるもらうための措置でした。
 こうしたスピーディな支援を実現したのは、震災前から市役所と事業者が互いの状況を把握しており、意思疎通がスピーディだったからとのことです。

■県内最速で工場再建
 宮古市の県・国との連携もスムーズでした。2011年4月27日には、宮古市の要請もあって工場の修繕と再建のための補助金が県議会臨時会に提案・議決されています。これは県が1/2、市町村1/2を補助するもの。修繕費の半額が補助されるのは極めて稀とのことです。また3月11日以降に独自に修繕した費用もさかのぼって補助されたことは事業者から高く評価されています。
 修繕・建築費用が1億円をこえる事業者のサポートは課題として残りました。ここは国との連携が図れられます。いわゆるグループ補助金制度によって、建設費・修繕費・設備購入費に対して国が2/4、県が1/4の補助がなされました。
 宮古市は、この補助金に事業者が申請することを全面的にバックアップ。結果として市内55事業者が採択しています。例えばウエーブクレスト宮古工場(http://www.mono385.net/kougyou-bukai/597 )は、2154平方メートルの新工場を2012年の1月から再開させました。岩手県で最速だったそうです。

■事業再開が進まない5つの理由
 以上、宮古市による事業所支援を紹介しました。もちろん、残された課題もあります。事業再開ができないのは、下記の5つの理由が挙げられるそうです。
1 防潮堤の位置・高さ・完成時期。立地場所の津波に対する安全性が確認できないため。
2 可住地域と非可住地域の区分。非可住地域だと、住宅を併設する店舗や工場が建設できないため。
3 構造規制区域。指定されると、鉄骨造り、鉄筋コンクリート造にする必要があり費用がかさむため。
4 嵩上げ(土盛り)の高さ。嵩上げ高が大きいと、一定期間を経過しないと建物建設に着手できないため。
5 土地の買取と買取価格。非可住地域では土地の買取がなされるのか不明。その金額も不明なため。
 しかし、これらの理由を解消するのは簡単ではありません。地域コミュニティの中で合意形成が必要になるからです。

■合意形成と産業再生の矛盾を解決する
 防潮堤はじめ土地利用のあり方を決めるため、行政による説明会が被災地各地で行われています。この段階を先に進まないと事業所は再開できず、人口は流出、地域は衰退します。といっても行政が無理に進めるべきではありません。住民の意見を踏まえず区画整理を進めようとすれば、早晩に反対運動がおきて計画はストップします。例えば石巻市の雄勝町は当初復興のトップランナーと言われていましたが、計画を急ぎすぎたことで一部住民からの反発が生まれ、見通しがつかない事態に陥っているとのことです。
 簡単な答はありません。「住民の熟議による合意形成」と「スピーディな地場産業再生」、矛盾する二つの要件を満たすことが、復興の鍵になるわけです。(5月10日)
 
■参考文献
関満博『震災復興と地域産業1 東日本大震災の「現場」から立ち上がる』(2012, 新評論) 1463旅 ★★★★


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2012年05月07日

「コミュニティにおける復興計画のつくりかた」〜『地域コミュニティ論』より

 復興に向けて、地域コミュニティ住民が主体となった「地域復興計画」が必要だと書き続けてきました(例えば→http://retz.seesaa.net/archives/201204-1.html )。市町村別の復興計画は出揃いつつありますが、さらに住民がリードできる範囲で工程表をつくることが必要なわけです。プランができることで、行政と住民が連携しながら復興に向けた歩みをスタートすることができます。
 では、地域復興計画はどのような手順で作成すべきでしょうか。地域社会の研究者である山崎丈夫氏による『地域コミュニティ論』を参考に整理してみます。

■1.現状把握
 計画をつくるにあたって、まずはコミュニティの現状を知る必要があります。もちろん現地の皆さんの方が詳しいわけですが、かえって古かったり偏った知識に留まることもあります。数字にしたり、他地域と比べてたりして客観的に地域を捉えることは、外の人間だから可能なことです。
 まずは地域の行政情報をすべて集め、整理します。市役所にいけば、コミュニティ単位の人口や産業動向はすぐに集められます。他には交通、自治会運営状況、祭事もチェックしておきましょう。もちろん市町村のウェブサイトや復興計画は読み通します。
 続いて、地域をとにかく歩く、歩き、メモをとります。可能であれば住民からヒアリングさせて頂いたり、住民同士で現状把握のための話し合いをもつことも有効でしょう。
 得られた情報の中で、短期的中期的に解決が必要な問題を地域の地図に落としこんでいきます。これをコミュニティマップと呼びます。

■2.課題の集約と共有
 計画を作る上で避けるべきは、全ての問題解決を図ってしまうことです。現地で発生している問題を洞察していけば、共通の原因が見えてくるものです。同時に、解くべき課題を住民の皆さんのなかで合意していくこともポイントになります。
 そこで、先につくったコミュニティマップを活かします。問題が書かれた地図を住民の皆さんと一緒にみながら、問題点の深堀を行なっていきます。そうした中で、復興において解決すべき重点課題が見えてきますし、同時に合意形成を図ることもできるわけです。
 絞られた課題と、解決の方向性をまとめたものを文章(ドキュメント)にしておきます。これを地域カルテと呼びます。

■3.地域復興計画の作成と行政への提出
 「課題」と「合意」を経て、ようやく地域復興計画を作ることができます。地域カルテを前提としながら、まずは素案を作成します。素案は、縦軸に課題を並べ、横軸を時間として整理します。この一年間で取り組む計画と、中長期的な計画を区分するわけです。
 作られた地域復興計画を、改めて住民の皆さんと合意を図ります。なお、合意する際に、特定の個人や団体に絞らないことが重要です。「復興まちづくり協議会」のように、その地域における主要な個人・団体が全てオープンに集まり、行政が代表性を認めている場があることが前提となります。そうした協議会で、地域復興計画を議論し、決めていくことが求められます。作成された計画は住民に広く公表しつつ、行政に正式に提出を行います。その際にはメディアに集ってもらうことも効果的でしょう。
 住民が主体になってつくり、行政が認める地域復興計画がどれだけ被災地にできるかが、復興のバロメーターとなります。こうした計画を一緒につくってもらえる個人や団体をRCFは求めています。関心がある方はぜひ御連絡を下さい。(5月7日)

■参考文献
山崎丈夫『地域コミュニティ論[三訂版]』(2009, 自治体研究社) 1462旅


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2012年05月05日

飯舘村の過去と現在(その2)

 前回エントリ『飯舘村の現在と過去(その1)』 http://retz.seesaa.net/article/268617902.html では飯舘村が、まちづくりの観点で日本有数の村だったことを書きました。続く今回は、昨年の震災以降の話です。飯舘村の複雑な事情を知り、これからも共に考えていく必要があることを理解頂ければと思っています。

■「計画的避難区域」
 3月15日の午後6時20分、飯舘村の大気中放射線量は、毎時44.7マイクロシーベルトを記録しました。その瞬間から今に至るまで、飯舘村は揺れ続けることになります。「ただちに健康に被害はない」「強制的に避難することのリスクもある」様々な意見の中で、村長は避難を決断できずにいます。その間に自主避難をされたのは1000人にのぼりました。
 4月10日に、当時の福山官房副長官は、菅野村長と秘密裏に面会します。その場で、飯舘村が計画的避難区域に設定されることを福山氏は菅野村長に告げました。翌日の4月11日には枝野官房長官からも記者発表がなされています
 全村民が村から離れる事態になっても、菅野村長は村への帰還を模索します。まず、例外的に村にある事業所を創業し続けることを政府に認めさせました。ただし当初は450人が勤務を続けていたものの、11月末には150人減ってしまうなど厳しい状況が続きます。

■「二年後に一次帰村を」
 また村民が離れるにあたり、「いいたて全村見守り隊」を緊急雇用基金を活用して結成(http://www.asahi.com/photonews/gallery/fukushimagenpatsu4/0606_iitate2.html )。住民不在の村のパトロールを実施しています。また7月には、避難先での自治会組織の検討を開始しました。公営宿舎や仮設住宅入居者を12の自治会に組織し、同時に「絆づくり支援職員」として役場職員を3人ずつ配置します。またそのうちの6自治会では、村との連絡調整にあたる嘱託の管理人として、村民を雇用もしています。9月16日には、自治会の連絡協議会も設立されています。このあたりは、原発事故前の協働まちづくりの経験が活きているのでしょう。
 そして12月16日には、復興計画の第一版を公開。そこでは二年後の目標としして「一部・一次帰村の開始」。五年後には希望前村民の帰村の実現を目指しています。(復興計画は飯舘村HPに公開されています→http://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/?p=1406 )
 菅野村長はじめ、飯舘村を維持するための強い決意が伺えるのが、これまでの取組みでした。

■twitterでの呼びかけ
 飯舘村の復興に向けた活動の、中心的な存在は20代若者が立ち上げました。「負げねど飯舘!!」です。活動経緯がウェブサイトにまとめられていますから、ぜひご覧下さい→http://space.geocities.jp/iitate0311/keii.html
 設立のきっかけは、村の商工会青年部副部長をつとめていた29歳の佐藤健太さんのtwitter(@024442)です。原発事故以降の飯舘村の状況をつぶやきつづけた結果、6000人のフォロワーに注目され、様々な支援や応援が寄せられます。メンバーは、村に対して一刻も早い避難を呼びかけます。

■若い世代らしい対抗と協調
 興味深いのは、行政と協調する姿勢を取り続けているところです。村に厳しい姿勢をとりつつも、余裕がない役場にかわってイベントを行なったり、「健康手帳」などの事業を一緒に取り組んだりもします。決起集会で決議文を採択した時にも、「怒りを噴出させない」という姿勢で、20-30代メンバーがシニアメンバーの意見を変えていったそうです。このあたりには、批判に終始しない今の世代らしい在り方(ポジ出し)がうかがえます。
 ただしその後も、村役場と村民の意見は必ずしも一致しません。そのあたりは、4月18日にダイヤモンド・オンラインに掲載された菅野村長へのインタビューに様々な経緯が書かれています(http://diamond.jp/articles/-/17361 )。例えば、当初村が出した「2年での帰還」「除染費用3200億円」に対して、「二年で帰るのは無理」「それだけのお金があるなら住民に支給してほしい」などの声が一部であがったそうです。

■6000人だけの問題ではない
 除染は効果的なのか。除染にそれだけの費用をかけて良いのか。除染できたとして帰還してよいのか。帰還しても生活は成り立つのか。様々な意見が飯舘村では交じり合います。いち早く帰村宣言を出した川内村も、3000人の人口の中で帰還したのは一ヶ月後で500人でした。そして買い物や病院といった生活インフラが十分整わない状況も続いているそうです。飯舘村も同様の問題は発生するでしょう。
 一つの意見に収れんできない現実が、ここにあります。この問題を飯舘村の6000人の皆さんにのみ押し付けるべきではありません。日本人全体として、どのように支えるべきなのか。考え続ける必要があります。(5月5日)

■参考文献
千葉悦子・松野光伸『飯舘村は負けない』(2012) 1460旅
菅野典雄『美しい村に放射能が降った 飯館村長・決断と覚悟の120日』(2012) 1461旅
『「までい」の心で村を復興させる 帰村を諦めては日本の恥だー菅野典雄 飯舘村村長インタビユー』 http://diamond.jp/articles/-/17361
『静まりかえった飯舘村の春』(JB PRESS) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35039


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飯舘村の過去と現在(その1)

 東日本大震災の復興要件の一つはコミュニティ形成/再生にあります。けして簡単ではないお題ですが、三県の中でも福島は一層の困難さがあります。見えない放射線の影響が心配される中で、除染がどこまで有効なのか。そして現実的に帰還できるか否かで、住民の中でも意見が分かれてしまうからです。コミュニティ支援を行なう上で、その現実と難しさをできうる限り理解する必要があります。
 事例として取り上げさせて頂くのは、飯舘村です。原発から30km圏外に位置しながら、天候の影響で多くの放射性物質が村に降りかかり、全村が計画的避難区域に指定されています。この村はどのような村であって、今何が起きているのか。村長である菅野典雄氏の本と、長年村のアドバイザーとして村民と向き合ってきた大学教授の本からまとめてみます。

■いいたて夢創塾
 1956年の昭和大合併の折に、飯曽村と大舘村が合併して誕生したのが飯舘村でした。当時の人口は11,403人。その後の人口減少は止まらず、2010年に6588人になっています。しかし平成の大合併の際に相馬郡としての合併は行わず、独立独歩の道を選択します。それは、菅野村長が中心となってオリジナリティある村づくりを実施できていた自負からでした。
 きっかけは1986年にさかのぼります。村おこし推進を中心的に担うことになる「いいたて夢創塾」ができた年です。その初代塾長は、今の村長である菅野典雄氏でした。
 この団体による企画で有名なのが「若妻の翼」プロジェクトです。海外旅行に行ったこともない村の女性を、ヨーロッパに視察に飛んでもらっています。その数は108人にもなり、彼女達が記した旅行体験記は7000部のヒットになりました。彼女達は村で主体性を発揮することになり、全国でも珍しい女性の農業委員会長になったり、村会議員になられています。そのうちのお一人は福島県内でも有数の珈琲店「椏久里」をオープンされました(飯舘村にあったお店は残念ながら閉店。今は郡山市で再開されておられます http://www.agricoffee.com/ )。

■まちづくりの目標としたい自治体に
 夢創塾が起爆剤になったのでしょう、飯舘村は村と村民の協働のまちづくりのモデルような地域となります。
 1990年には20行政区に100万ずつ公布して自主的な地域活動を促す「やまびこ運動」を実施。1992年には、323人の村民が参加してワークショップ形式で「地区白書」を作成。老人福祉、農林活用、住宅整備、伝統芸能保存などを村民主体で取組みました。
 村は一地区あたり1000万円の事業費を保証し、一割は地元が負担。事業化にあたっては住民自らが審査を行いました。住民自治の観点で、飯舘村は国内でも先端的な地域であり、「今後のまちづくりの目標としたい自治体」に、福島県では三春町とともに推薦されてもいました。
 市町村合併に関しては、村内でも意見が分かれましたが、結果的に自立を掲げた菅野村長が2004年に再選し、独立の道を歩むことになります。そうした中で発生したのが、2011年の原発事故に伴う計画避難区域指定でした。(続く)

■参考文献
千葉悦子・松野光伸『飯舘村は負けない』(2012) 1460旅
菅野典雄『美しい村に放射能が降った 飯館村長・決断と覚悟の120日』(2012) 1461旅
『「までい」の心で村を復興させる 帰村を諦めては日本の恥だー菅野典雄 飯舘村村長インタビユー』 http://diamond.jp/articles/-/17361
『静まりかえった飯舘村の春』(JB PRESS) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35039




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2012年05月03日

先進事例から、復興まちづくりを考える。〜『地域コミュニティ最前線』(1459旅その2)

 前回エントリ『1960年代から現代にかけての、地域コミュニティ政策の歴史』(http://retz.seesaa.net/article/268285715.html )の続編となります。今回は、地域コミュニティの成功事例を紹介したいと思います。
 なお、国内における自治会・町内会の数は30万弱(2008年時点)。行政の下請けに留まっていたり、担い手不足で機能していないケースも多いわけですが、求められる役割は増しています。震災復興の現場では尚更です。阪神大震災でも、行政がたてた復興計画をなぞるだけの自治会では復興に遅れが見られました。スピードを上げるためには、地域が主体となって、時に行政と議論を戦わせる必要があります。
 意思ある復興コミュニティを作るために。事例をみていきましょう。

■企業連携と仕組み化〜『常盤平団地自治会』
 無縁社会や孤独死が社会問題化しています。被災地でもそうですし、都市部の自治会・行政も問題意識はあります。しかし、なかなか解決できない現実があります。その中で、孤独死防止を日本で最も上手に実現できていると有名な自治会があります。千葉県松戸市にある、常盤平団地自治会です。
 この自治会の特徴は、自分たち自身で全て対応しようとせず、周囲の企業と連携する点にあります。たとえば新聞各社の販売店と協定を結んでおり、配達の時に住民の新聞がたまっていたら自治会に連絡することとしています。また鍵屋とも覚書を交わし、非常時には無料で鍵を開けてもらえます。清掃協業組合とも提携。死亡された方がおられた場合の室内清掃やゴミ搬出を無料搬入で行います。身寄りのないお骨は、納骨堂に治める前に必ず自治会役員と都市機構職員が弔うルールにもしている徹底ぶりです。
 行政に頼らず、しかし自治会が無理せずに、孤独死対策を実現しています。

■行政の巻き込み〜『大和市鶴間地区』
 高齢化率の高まりの中で、地域の中で移動することが困難なお年寄りが増えています。その中で、独自に循環バスを運行させることに成功したのが、神奈川県大和市鶴間地区の7つの自治会です。
 実現までのプロセスが参考になります。2008年10月に、7自治会が「乗合バス運行準備会」をまず発足します。その時には、超党派市議4名やNPOをアドバイザーにしました。その後2009年5月までに運行ルート案づくりと、住民説明会を実施。6月の試運転を経て、10月には大和市と協働事業としての協定締結を実現させています。そして2010年4月からの通常運行にこぎつけました。
 必要な関係者を巻き込みつつ、最も重要な行政連携に必要なプロセスを意識しながら調整を進める様子がうかがえます。

■自主財源の確保〜『櫛原町柳谷町内会』
 行政からの予算があてにならず、住民からの町内会費徴収も難しい昨今です。鹿児島県鹿屋市にある櫛原町柳谷町内会は、自らコミュニティビジネスを実施することで財源を確保しています。
 町の中の遊休地をつかってカライモを生産。オリジナルの焼酎を販売して年間80万円の収入を得ています。また閉店したスーパーをギャラリーに改装し作品展示や活動拠点に。そうした活動により、2008年は800万円を売り上げました。町内会の活動費用、イベント開催、子供たちの寺子屋運営、独居老人向けの緊急警報装置も購入しています。町内会費も年7000円から4000円に減額し、2006年には一万円のボーナスを出したほどでした。
 復興予算は数年で途切れます。コストとして使うのではなく、地域事業が成り立つための投資とする必要があります。

■若手世代を巻き込むマネジメント〜『立川市大山自治会』
 コミュニティの中の代表性を維持するために、組織マネジメントも課題となります。高齢者ばかりで議論だけのサロンと化している自治会も少なくないでしょう。一方、運営方針の工夫によって、世代をこえた住民のコミットを実現させているのが東京都立川市の大山自治会です。
 ここは、1200世帯の都営住宅にできた地域コミュニティです。多くのニュータウンがそうであるようにお年寄りが多く、高齢化率はすでに30パーセント。通常であれば高齢者ばかりの自治会になるところですが、自治会幹部の選び方を工夫しました。会長1名、副会長5名、会計2名について、30代〜70代の年代別に推薦投票を実施しています。仮に若者の投票率が少なくとも、意見が反映されるわけです。結果として、老若でまちづくりを進める雰囲気が醸成されました。
 被災地では、若い世代の流出が大きな課題になっています。こうした手法を取り入れることで、若い世代が関われる地域づくりが求められます。

■情報発信が地域を動かす〜『平針南学区連合自治会』
 最後は情報発信について。名古屋市天白区の、平針南学区連合自治会の事例が取り上げられています。
 ここは2000戸の県営住宅につくられたものですが、当初は県の「御用自治会」でした。改革派自治会ができた1975年に発行されたのが平針ニュースです。自治会の危機に気づいていない住民に、状況を伝えるために作られた内容でした。
 2009年段階で400号(!)も発行されていますが、コミュニティの質を改善する成果を出せています。例えば、団地内スーパーの価格が質に比して不当に高かった際、近隣4スーパーとの比較記事をニュースに掲載することで、結果としてスーパーのサービス改善を促しました。あるいは行政が錆びた水道管工事を怠ったために赤い水道水が出続けた時にも、水道料金支払停止をリードし、結果として県の行動を引き出しています。

■復興まちづくりの課題
 企業や行政との連携。自主財源の確保。若手世代の巻き込み。情報発信。いずれも、被災地復興における大きな課題です。まだまだ情報も足らないでしょう。人手も足らないでしょう。単純にお金をつけて良しとせず、頭に汗を書きながら被災地コミュニティを支えることが、NPOなど外部支援者に求められています(5月3日)

■本日の一冊
中田実・山崎丈夫『地域コミュニティ最前線』(2010, 自治体研究社)★★★★(1459旅)


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1960年代から現代にかけての、地域コミュニティ政策の歴史。〜『地域コミュニティ最前線』(1459旅)

 高齢化、経済悪化の中、地域の将来に不安を感じている人は、63%にものぼるそうです(日本世論調査会, 2009)。行政機能がますます縮小する昨今、地域コミュニティが果たす役割は増していく一方です。震災復興でも、防潮堤や道路などのハード整備が進む中、地域コミュニティが再生されるかが、復興のスピードに大きく影響を与えます。地域コミュニティ論の専門家が執筆した『地域コミュニティ最前線』(中田・山崎、2011)より、先端的な事例を紹介したいと思います。
 個別事例に入る前に、今回のエントリーでは国内における地域コミュニティの歴史をおさらいしておきましょう。次回エントリーで個別事例を扱います。中田・山崎は、大きく3つの段階に流れを区分しています。

■1 地域コミュニティ概念の成立と形成(1960年代〜80年代前半)
 日本のコミュニティ政策の原点として、国民生活審議会が『コミュニティ』報告を1969年に発表しています(http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/32.pdf )。都市化によるコミュニティ構築と、コミュニティ行政強化の必要性を訴えた内容でした。
 この内容を受けて、71年〜73年には、小学校区単位で全国に83のモデル地区が指定されています。しかしコミュニティセンターという箱物中心の施策に留まっていました。

■2 地域コミュニティの位置づけの弱まり(1980年代後半〜90年代後半)
 90年代初頭まではバブル景気もあり、再び国内はインフラ整備・都市再開発に傾いていきます。住民の繋がりも再び希薄化していきます。1990-92年の三カ年では141箇所のコミュニティ活性化地区がつくられて、環境重視、商店街活性化を盛り込んだまちづくり計画の策定が図られました。
 95年の阪神大震災は、コミュニティ施策に強く影響を与えました。この年がボランティア元年と名付けられたこともあり、行政支援はNPOに傾いていきます。そのために地域コミュニティの位置づけは弱まることになりました。
 余談ですが、復興庁にも「ボランティア班」はあるが「地域コミュニティ班」はないわけで、こうした流れの影響は今も続いていると言えます。NPOと地域コミュニティが分断されているのは、何より被災地域にとって不幸なことです。NPOは地域を支える存在になる必要があります。

■3 地域分権時代のコミュニティ政策(2000年以降)
 歴史に戻ります。2000年には、地方分権一括法が施行されます。その流れの中で、自治基本条例によって地域自治組織が設置。そこに意見表明権や地域予算提案権を認めていく、分権型の地域政策が進められることになります。その後、総務省は2009年に「新しいコミュニティのあり方に関する研究会報告書」をまとめています。ここでは地域自治のコンセプトをおさえながら、NPO、事業所など多様なプレイヤーを巻き込む「地域協働体」という仕組みを提唱しています(ポイント版はこちら→ http://www.soumu.go.jp/main_content/000037077.pdf )。
 住民主体による自主施策と、行政による公共政策(環境、福祉、農業、施設・・)。この二つを総合したものが地域におけるコミュニティ政策となります。震災復興でも同じ構造にあります。今は行政による復興計画がリードしていますが、住民自身が一つになって、自主的なコミュニティ復興計画を作り上げていく必要があるわけです。NPOは住民の情報発信や資金調達を支える存在になる必要があります。
 本エントリはここまで。次回は事例紹介を致します。(5月3日)

■本日の一冊
中田実・山崎丈夫『地域コミュニティ最前線』(2010, 自治体研究社)★★★★(1459旅)


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2012年05月02日

被災地の一年を知る〜『南三陸日記』(1458旅)

 復興が進まないと言われます。もちろん現地ではそんなことはなくて、季節がめぐる中で、ゆっくりと被災地は変わりつつあります。しかしなかなか東北に足を運べない方にとっては、どのように変化しているかイメージが沸かないと思います。そんな皆さんに、今日は被災地の春夏秋冬を感じさせる一冊を紹介したいと思います。朝日新聞記者である三浦英之さんによる『南三陸日記』です。彼は2011年6月から一年近くに渡って南三陸に居住。毎週、朝日新聞全国版に南三陸のいまを綴っていました。

■青空コンビニ
 変化を感じさせる一つは、コンビニエンスストア。セブン・イレブン志津川天王前店という店が震災前に存在していましたが、完全に流されてしまいました。しかし津波を免れた店長は、スタッフと共にテーブル1個からなる青空コンビニを5月に再開させています。(http://www.asahi.com/national/update/0511/TKY201105110210.html )。その後、夏からは仮設店舗での営業を開始。しかし冬にはボランティアが減ったことで売上が七割に減少してしまいます。そのこともあり、オーナーの19歳の息子さんが店長になったことも、記者は報じています。一年の変化が感じられます。

■「私をこのまま、お嫁さんにしてくれますか」
 つよく心に残ったのは奥田江利子さんのエピソードです。今年の3月11日には、政府主催で震災追悼式典が行われました。その際に、宮城県遺族代表としてスピーチをされたのが奥田さん。Youtubeに動画が残されていますから、ご覧になっていない方は、静かな時間に一度視聴頂ければと思います(http://www.youtube.com/watch?v=-o-4iMBK--g )。
 奥田江利子さんは離婚をされましたが、二人の両親と、息子・娘の五人で暮らされていました。しかし、津波によって四人を亡くされてしまいます。息子の智史さんは震災六日前の3月5日に結婚もされていて、奥さまの江利香さんは妊娠をされていました。彼女は、四人の遺体を前に泣き崩れる新郎の母に、こう話しています。「私をこのまま、お嫁さんにしてくれますか」。

■「最後の希望なんです」
 三浦記者は江利子さんと江利香さんを一年間取材されていました。7月12日には江利香がお子さんを出産。新郎母であった江利子さんはこのように話されています。「生まれてくる子は、私の最後の希望なんです」。その時の様子も三浦さんは報道しています(http://digital.asahi.com/articles/TKY201203270464.html )。
 3月11日の式典が終わった時、三浦記者は東京にいる江利子さんと電話で話されたそうです。『泣かないと決めてたんだけれども』彼女このように話し始めたそうです。『でも、読んでいるうちに、智史も梨吏佳の顔が何度も出てきて。まるでそばに寄り添ってくれているように思えて・・』
 南三陸日記。被災地の移り変わりを知る上で、ぜひ手にとって頂きたい一冊です。

■参考文献
三浦英之『南三陸日記』(2012,朝日新聞出版)★★★★ (1458旅)

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2012年03月20日

『スペンド・シフト』から読み解く東北復興のあり方

「東北復興は、日本復興につながる」と言われます。私もそう信じている一人です。
理由は二つ挙げられます。一つは、少子高齢社会のモデル地域になりえるから。一つは「スペンド・シフト」といった価値観に基づいた復旧復興が実現しうるから、です。

■高齢化が猛烈に進む東北被災地

被災地は元々高齢化率が高く、人口減少が予測されていました。2048年に日本人が1億人を切ると予測した、国立社会保障・人口問題研究所の有名な資料を紹介しましょう(下記リンク)。p39によれば、2035年に大船渡や陸前高田の人口は2/3に。釜石は1/2近くになるとされています。
http://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson08/gaiyo.pdf
 神戸もそうであったように、震災後は雇用が失われます。若者世代が流出し、高齢世代は残るために(年金があるから稼ぎに都会に出る必要がありません)、高齢化率は高まることになります。実際、被災地の人口流出も続いています。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201203030598.html
 超高齢化が進む被災地。裏を返せば、そうした地域で、現地が望む復興を実現できれば、日本全国で進む高齢社会のモデルになりうるわけです。だからこそ、東北復興が日本復興につながるといえる。

■スペンド・シフト1「消費から生き方へ」
 ここまでは、よく言われる話しでもあります。今回お伝えしたいのは、もう一つの理由。それはリーマンショック以降、欧米中心に進んでいる価値観の変化です。『スペンド・シフト』(プレジデント社, 2011)(1437旅★4)に詳しいため、いくつか引用します。
 
「数字は、ほぼ30年にわたってアメリカ経済を牽引してきたこれまでの消費行動が、ついに廃れたことを物語っていた。成金趣味の豪邸、SUV、気晴らしのためのショッピングなど、過去数年間に広まった露骨な金満の証しに別れを告げよう。コミュニティ、つながり、品質、創造性を大切にしたライフスタイルを身につけよう」p12
「2010年にハイチで地震が起きた後、『救援募金に協力するために、ショッピングや外食を控えている』という声がいたるところから聞こえてきたという」p115
「借金の時代はモノが主役だったが、貯蓄の時代となったいま、世の中を動かすのは意味である。わたしたちは物質主義を捨てて身のあるものを重んじる姿勢を強めている。何を持っているかよりも、わたしたち自身に何が備わっているかが大切になってきている」p340

 消費社会の象徴だった米国でさえ、若い世代を中心に消費=豊かとは思えなくなってきたとの考察です。所得が減ったから賢く生活しているだけであって、景気回復したら元に戻る、という意見もあります。ただ、多くの人々が「何を持つか」ではなく「いかに生きるか」に関心の軸をずらしているのは確かでしょう。

■スペンド・シフト2「効率から、信頼・地域性へ」
 安さや効率よりも、信頼性や地域性が重視されてきたと「スペンド・シフト」は主張します。
 
「スペンド・シフトを通して、規模はもはや競争優位ではないことが明らかになった。コストを押し下げるための経済性と効率性、売り上げを伸ばしていくための流通網は、以前ほど威力を発揮していない。大規模なバリューチェーンを支えるには大きな顧客セグメントが必要であるため、どうしても八方美人的な発想になり、誰かのハートに強烈に訴えかける商品やサービスの提供を目指さなくなる」p361

 個人的に、復興の現場でも同様の価値観があるように思われます。鯨の缶詰で有名な、木の家石巻水産の木村社長も「大規模な流通は望まない。復興需要はいずれなくなる。付加価値の高い製品を、少数の販路に売っていきたい」と語っていました。東北復興という大文字の議論を始めると、大企業誘致や、スマートグリッドや、選択と集中といった言葉が踊ります。仙台など一部地域ではそうした議論も当てはまるでしょう。しかし、被災地の多くでは、地域コミュニティに根ざしたものづくりを復旧させ、長期間ファンになってくれる層をいかに作るかが課題なのです。

■東北は日本と世界から注目されるか
 「消費」から「生き方」へ。「効率」から「信頼・地域性」へ。2000年代以降、静かに進む世界の風潮の上に、東北復興もそのまま乗っていると私は考えます。一部の若者が高い給与を捨てて東北を目指し、また効率的なビジネスよりも地域に根ざした事業再開を進めているのも、そうした理由ではないでしょうか。
 持続的なかたちで「スペンド・シフト」的復興を実現した際に、東北は日本のモデルになり、また世界からも注目される場となる。私はそのように感じています。

■(参考)コミュニティ形成のためのチェックリスト
 おまけです。『スペンド・シフト』には、ミートアップ社最高コミュニティ責任者であるダグラス・アトキン氏による、コミュニティの可能性を見極めるためのチェックリストが掲載されています。復興が進むためには、数百ある被災地のコミュニティが、いかに自律的になるかが鍵だと考えます。その意味で参考になります。ややダブりがある気がしますが、参考までに載せておきます。
 ただ人が集まるだけではコミュニティにはならない。その地域における目的と、実現のための役割分担が必要だとのメッセージです。同感です。

・現実のニーズを満たしているか。より多くの学びや楽しみをもたらし、何かの実現や支援につながっているか。
・目的は明快に示されているか。
・メンバー構成は明らかにされているか。
・メンバー同士の交流はあるか。
・もともとの参加理由だけにこだわるのではなく、末永い絆がはぐくまれているか。
・共通の目的を果たすために、貢献、参加、協力などが見られるか。
・メンバーが互いにコミュニティ全体への責任を感じているか。
・メンバーが果たすべき役割、責任、仕事は決まっているか。
・自己管理ができているか
・行動の指針やルールはあるか」 p164


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2012年03月01日

1426旅 関満博『「農」と「食」の農商工連携』★★★★

「各地に展開している『農産物直売所』『農村レストラン』『農産物加工場』は、日本の中山間地域に『希望』と『勇気』を与える三点セットとして重要な意味を帯びてきたのである。(略)これらの事業は全体で一兆円を越す市場とさえ言われ、また、毎年10〜15%は伸びているとされている。まさに日本に残された最後の成長市場と言ってもよいであろう」p21
「『民間主導型』『行政主導型』『農協主導型』の三つに大別される。一般的に農産物直売所のスタートは農家女性たちの自主的な取り組みから開始されたといわれており、『民間主導型』として開始されている。その後、その成果を受け止めて、各地で『行政主導型』の農産物直売所がオープンし、さらに、当初、否定的であった『農協』が参入してくるという流れとなっている」p126

■概要
 農協を離れ、農家の女性たちが独自流通をてがけているのが「農産物直売所」。そうした農商工連携の先端モデルを、岩手で40以上集めたのが本著である。高成長し、既に一兆円以上の産業に化けている理由がよくわかる。著者は関満博先生。

■地域変革のステップ
 「新しい民間」→「行政」→「古い民間」の順番に農商工連携が進んでいる様子が面白い。地域の女性が中心となってモデルを作り、行政が支援をし始めた後に、農協などがモデルを受け入れるという。
 震災復興に置き換えてみたい。「若者」「女性」「よそ者」らが中心となってコミュニティで新しい取り組みを開始する。それらを行政が正統化することで、元々の自治会なども受け入れ始める。復興でも農商工連携と同様のモデルが通じると思っている。

■岩手における水産業発展の課題
 なお、岩手における水産業支援の課題も掲載されていたので転載しておきたい。
===
@自立した漁業経営体の育成支援
・漁場利用の新たなルール作りによる強い経営体の育成
・直売や買い取り販売などによる流通チャネルの多角化支援
・「サケ養殖事業の改善による回帰率の回復」「アワビの漁獲期間の拡大による回収率の向上」「ワカメ養殖の機械化、自動化システムの開発・導入」「新養殖品種(マツモ、ナマコ等)開発と事業化」「ウニ等の畜養など既存漁港施設の有効活用および漁場整備」

A戦略的な流通加工販売への取り組み支援
・漁業者・漁協と消費者との距離を縮めるための直売所へ出展、地域ブランド化の推進
・輸出促進
・流通コスト削減にむけた取り組み
・鮮度・衛生管理による高品質商品の開発
・高齢者向け水産加工品の開発など産学官連携の促進
・量販店や外食バイヤーと水産加工業者とのマッチング
・HACCP対応、トレーサビリティの導入など、安全・安心など市場ニーズに対応しうる基盤整備
・漁業者と加工業者の連携による養殖水産物などの付加価値向上
・地域の六次産業化を目指した産業連携の促進
===
漁業にせよ水産加工業にせよ、消費者との独自チャネルとブランドが必要。その道筋は震災を経ても変わってはいない。後は進め方の変化が求められているのだろう。

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2012年02月27日

1423旅 西尾勝『地方分権改革』★★★★

「日本の行政システムを先進諸国並みのグローバル水準に近づけようとすれば、何よりも重要なことは、行政サービス提供業務をこれまで以上に国から自治体へ委譲することではなく、すでに自治体の事務事業とされている行政サービス提供業務に対する実質的な決定権を自治体に委譲することなのである。いいかえれば、集権的分散システムを分権的分散システムの方向に向けて移行させていくことなのである」p9
「『昭和の町村合併』では、義務教育年限を六年から九年に延長したことに伴う新制中学校の市町村による整備を効率化することを主たる目的にして、最小の村でも人口8000人以上にすることを目標に進められ、一万弱を数えていた市町村総数を約三分の一の3300有余にまで削減した」p17
「都道府県は、市町村とは違って、国会がその旨を定めた法律を制定しさえすれば、いつでも国会の一方的な意思によって廃止されるかもしれない存在であり、あるいは国会の一方的な意思によって合併を強制されるかもしれない存在なのである」p145
「戦後になると、様々な機関や団体から種々の道州制構想が繰り返し提唱されてきた。いずれも道州制という共通の呼称を用いながら、その制度の設計はすべて異なっていた。(略)道州制構想に賛成ですか反対ですかと問われても、およそ誰にも答えようのない質問なのである」p151

■概要
 機関委任事務制度を廃止に導いた地方分権一括法制定(1999年)により、日本の統治のあり方が根底からひっくり返ったといわれる。これをリードした西尾勝氏本人による、地方分権改革の全体像と課題を整理した一冊。90〜00年代にかけて、地方分権と政治改革の二つが交錯しながら、日本の国家像が変化する様がよく理解できた。小泉旋風、市町村合併、政権交代、道州制、震災復興そして橋下大阪都構想に至る動きが、地方分権の流れに延長線に描けることがわかる。

■日本における分権とは
  国ではなく地方自治体が、既に行政サービスを担っている。しかし実施の決定権と金(=税)は国が握り続けてきた。決定を地方に任せはじめた先駆けが、機関委任事務制度の廃止である。また金を地方に流し始めたのが、補助金と交付金を減らし税源移譲を進めた三位一体改革となる。
 そうした動きと並行し、平成の市町村合併が進んだ。昭和の合併は中学校整備が目的であったが、平成のそれは地方分権の流れとも関係する。サービスを担うためにも行政単位を広げておかねばならないからだ。また財政難のために地方交付税が減額し続けていることも関係している。

■道州制
 橋下大阪市長の誕生により、道州制の議論が再び強まっている。一口に道州制といっても、国が地方をコントロールするのが目的であったり、逆に地方自治体の範囲を広くするのが目的であったり、様々だ。事務権限、税財源などを整理しないと、道州制の性質が全く異なることが理解できた。ちなみに橋下市長の構想は、単一主権国家から、連邦制国家への移行をイメージしているように思われる。過去の地方制度調査会はそうした可能性は、歴史的・社会的に考えにくいと却下しているそうだ。これからの道州制の議論が興味深い。


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2012年02月22日

1419旅 山浦晴男『最新地域再生マニュアル』★★★★

「行政課題に取り組む上で課題としてトップにあがったのは『財源不足35.0%』、第二位は『住民の理解29.5%』である。公共事業の事業費削減策で必要なものは、第一位は『計画段階から住民の声を聞く31.5%』、第二位は『民間の資金や運営を導入30.5%』となっている。この結果からわかることは、行政担当者は、住民との連携、協働の必要性を業務の第一線で痛感しているということである」p54
「中山間村地域は、都市圏に比較すればコミュニティはまだまだ命脈を保っている。だが各種行事を執り行う相談の話し合いのコミュニティになってしまっている。将来に向かって地域をどうしていくかという地域経営を考えるコミュニティではなくなっている」p56
「地域再生を考えるとき、既存の集落内諸集団とまちづくり委員会のような組織の二側面が必要だと考える。しかも両者が実質的に連携できる仕組みを保障する必要がある。地域再生には、地域のなかに『伝統と創造』を担う二つの歯車の組織が必要である」p200

■概要
 陳情の時代が終わり、地域が自立を求められる時代。しかし、住民・行政・NPOは同じ方向を向くことが難しい。三者が"寄り合い"、村や町を再生させるには。その具体的な手法を豊富な事例とともにまとめた一冊である。著者は、日本全国で地域再生を手がけてきた方。文末に、地域再生ワークショップを実施するためのステップ32が掲載されていて、これだけでも得る大きな価値がある。

■話し合いから行動のコミュニティへ
 1960年代までは、地域コミュニティは実践型であった。しかし高度経済成長の中でリーダーは東京に吸収され、逆に補助金という形で地域にお金が返される中で、話し合いはすれども、地域が"自ら"動くことはなくなっていった。被災地でも同じことが言えるのだろう。自治組織はそれなりに立ち上がっているが、国や県をあてにせずに進むコミュニティは少ない。その数少ない事例は、南三陸の馬場中山地区だろう。http://www.babanakayama.jp/
 もちろん住民の意識を一つにするために熟議(または寄り合い)は必要である。加えて、自ら事業や非営利活動を動かしていく行動力も必要となる。その上で、地域の従来の集団と、実践組織である"まちづくり委員会"などの二つの組織が必要との本書の指摘は合点がいく。伝統を大事にせねば、住民の信頼は得られない。しかし伝統だけでは変化と復興を実現することはできない。二つの矛盾を越えることが、いまの東北に求められている。

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2012年02月21日

1418旅 高橋彦芳・岡田知弘『自立をめざす村』★★★★

「私は村長に就任してから、『実践的住民自治』ということを唱えてきました。一般に自治体の行政は、住民の参加と住民自治を大事にして運営されるべきものですが、そのうえに実践を加えることにしたのです。もっと実践的に住民が行政に関わるようにすることで、住民の自治を回復し、参加民主主義を実現していくことができると考えたのです」p25
「村民の集落単位での自主的な自治活動との『協働』につとめてきました。すなわち、田直し事業にしろ、道ふみ事業にしろ、下履きヘルパーにしろ、住民が集落単位で自己決定し、自ら活動することを大前提にした事業です。いわば村="公"と住民="私"が、"協働"してはじめてできる事業であり、その利益は村民のものになります」p100
「高齢者の日々の生活の基本部分は、この年金の支出によってまかなわれているわけですから、年金経済の循環によって村の小売業やサービス業が支えられている側面が強いといえます。これらの年金をいかに村内に循環させて、地域内に雇用や所得を生み出していくかが、高齢化社会における地域経済の持続的発展を考えるうえで日本のあらゆる地域で重要な課題となっています」p88

■概要
 東日本大震災翌日に震度6強の震災を被った長野県・栄村。元々65歳以上が40%以上である高齢村であり、国内最高積雪(7.85m)を記録した豪雪地帯。そうした厳しい環境の村だが、本著者である前高橋町長時代に、交付金に頼らない自立した村づくりが進められていた。村と住民の協働のあらましが描かれた一冊。今回の震災復興における東北の自立に向けても、いま読んでおきたい。

■実践的住民自治
 「住民自治」との言葉は全国どこでも使われている。しかしその多くは、自治体主導で数回の「まちづくりワークショップ」が開かれる程度であり、役所が定めた計画を追認する範囲に留まっている。栄村では、住民が主体的に関わりながら、自治と経済を支えている。たとえば集落ごとの知恵や技術を活用し、猫つぐら(http://nihonichi.nagano-ken.jp/e2356.html)などの名産も生み出した。
 田直し事業も面白い。棚田の生産性を向上するために圃場整備が必要になるが、農家個別に実施するとコストが割高。そこで村・農家・圃場事業者が協働で村全体の整備を計画。他にもトラクタ等の共有や農作業の共同実施を進めた。その結果、外の農業法人に頼らずとも、村の家族経営体が維持できる方法を見出したという。
 栄村の人口は2000人である。石巻の人口は15万。釜石は4万。どこの市町村も数万単位。住民が主体的に関わる数千人のコミュニティ単位での復興を考える必要がある。さもなければ、外の事業者が復興予算を食い尽くし、残る被災住民の方々の生活が変わらない光景が生じてしまう。もちろん医療や教育では他自治体の連携が必要になる場面もある。しかし、基本となる住まいと暮らし、生業についてはいま一歩小規模で進めていくべきだろう。

■年金の活用
 高齢社会とは、裏を返せば年金という市場をもっているとも言える。栄村では村の会計歳出35億円に対し、年金支出額は10億円にも上るという。ゆくゆくは限界もあろうが、当面の経済前提として活用できる。被災地でも同様だろう。ただし、こうした年金が銀行に留まり、やがて休眠口座になって銀行収益になるなんて事態は避けねばならない。その為には地域内事業が生み出される必要がある。事業主体とししては、場合によっては役場と地元住民で共同出資することもあってもよい。栄村では、(財)栄村振興公社が村の寄付によって誕生しているが、人件費など費用総額の70%が地域内に還元されているという。これからの行政民間連携のモデルといえるだろう。


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2012年02月17日

1415旅 皆川治『被災、石巻五十日』★★★★

「石巻市役所内に設置された市災害対策本部に常駐し、市役所のほとんど各部の仕事に関わりながら、市長室に頻繁に出入りし、意見をぶつけることができる立場にあった。偶然が重なり、今回の東日本大震災において、単一の市町村では最大の死亡者・行方不明者が生じることとなった石巻市役所の対応を、国家公務員という立場で支援し、定点観測できる特異な立場にあった」p1
「本日の市災害対策本部は、全般的にはいつもどおり、特段の新しい話がなく、「災害廃棄物処理に付き100%地方負担なしの通知が未だ到達ししていない」といった程度の議論に終始していた。本部会議の低調ぶりは深刻である。県はあくまで出先による支援といった趣で、県を代表して応答できる者がいないので、市本部での議論は全く活性化していない」p134

■概要
 農林水産省勤務、当時の副大臣秘書官であった皆川治氏による一冊。3月11日、偶然石巻にて被災。副大臣の指示により、そのまま50日間石巻に滞在して、市災害対策本部周辺で国と市を結ぶ仕事をされていた。

■横割り日本と復興
 縦割りという言葉がある。組織の部門ごとに情報が分断され、モレありダブリありの非効率を産んでしまう様子を指す。本著を読んでいると、縦以上に「国」「県」「市町村」という階層(="横")の分断に、根深く日本の問題があることに気付かされる。
 国は県を通じてでしか指示できない。県は出先機関を通じて指示を出すが、出先機関は責任をもたないから、現場で意思決定ができずに右往左往。結果、歴史的な被災であった石巻市の中枢は完全に麻痺していたという。
 緊急・復旧期が過ぎ、復興期に入った今でもこの問題は温存されたままだ。政府は現場自治体をコントロールできずにおり(もちろん、すべきでもない)、しかし市町村側も国に問題があると考え続ける。その狭間の中で、地域住民の復興はけして進まない。
 行政ではなく、住民主体の復興へ。そこへ思い切りかじを切るしかない。残された時間はけして長くはない。

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2012年02月13日

1413旅 ジェームズ・スロウィッキー「『みんなの意見』は案外正しい」★★★★

「市場が賢い判断を下せたのは、賢い集団の特徴である4つの要件が満たされていたからだ。意見の多様性(それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)という4つだ」p28

■概要
 英語名は"The Wisdom of Crouds"。一人の天才より、群衆の思考が優位になる例を示した一冊。googleやfacebookといった集合知時代だからこそ注目された。著者はニューヨークの人気ビジネスコラムニスト。

■本著の意義
 常に群集が優位になるわけではなく、4つの要件が満たされることが必要だという。amazonレビューでは、「そんな状況が成立することは極めて稀だから、意味がない」といったコメントも見受けられる。個人的にはそう思わない。政治でもビジネスでも、情報の広がりと共に複雑化は進み、一人のリーダーが判断できる領域は益々狭まっている。集合知を活用できる環境を用意できるのが、これからのリーダーの最も重要な役割となる。その意味で、どのような場合に集合知が"発動"するかを示した点で、本著は有意義だ。

■震災と集合知
 震災復興への応用したい。悪手は、復興を国にのみ委ねてしまうことだろう。復興庁は"集約性"を持つかもしれないが、多様性と分散性は低い。とはいえ、市町村に委ねるのも良手とは言えない。役場自体も多様性・独立性に欠けるし、さらにいえば地域ごとにバラバラの復興になり集約性にも欠ける。ではどうするか。
 まず、行政・企業・NPO、被災地と東京などが、それぞれに復興を目指す。そうすることで4要件のうちのはじめの3つを満たす。残るは集約性である。現在は多様な状態のまま、互いに集約は図れていない。
 集約性を強める打ち手の一つが「連携復興センター」である(例えばいわて連携復興センター→http://www.ifc.jp/)。この組織が起点となって、各県で行政・NPOが情報や事業で一体化を進めている。もう一つは東北復興新聞である(http://www.rise-tohoku.jp/)。新聞は被災地半分、被災地外半分。政府にも県にも支援企業にもNPOにも配布されている。別々に復興を進めながら、互いの情報が共有化されている。あるいは、Facebookも、集約性を強めている一ツールといえるだろう。
 復興を進まさせるのは"ワンストップ"ではなくて、多様性と独自性を維持しながら、しかし高度に情報共有を進めさせる環境を創り上げることにある。


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2012年02月11日

1411旅 ジェイムズ・S・フィシュキン『人々の声が響きあうとき 熟議空間と民主主義』★★★★

「候補者指名のプロセスに、十分な情報にもとづいた、代表性をもった国民の声を反映させる方法はあるだろうか。その答えは、古代アテネの慣習にあった。くじ引きにより選ばれた何百人もの市民が定期的に審議し、重要な公的事項の決定をおこなっていたのだ」p24
「熟議とは、市民の一人ひとりが議論において対立する意見を真剣に吟味することである。次の5つの項目により、熟議の質を論じることができる。1.情報 2.実質的バランス 3.多様性 4.誠実性 5.考慮の平等」p60

■概要
 世論調査をするほどに内閣支持率がさがり、結果として毎年リーダーが入れ替わっている。別の見方をすれば、政府の状況に変わりはないのに、首相が新しくなるだけで支持率が急上昇しているとも言える。そうした世論調査=民意を基準にしても、まともな政治は行えないと誰もが気づいているハズだ。"熟議"をベースとした討論型世論調査(deliberative poll)が、現状への対案になることを示した一冊。熟議民主主義の解説書とも言える。著者はスタンフォードの熟議民主主義センター所長。

■討論型世論調査とは
 「政治的平等」「政治参加」そして「熟議」の3つを満たすことを目指したのが討論型世論調査。まず母集団から無作為で参加者を選ぶ。彼らは一同に介し、小グループや全体会議を通じて何時間にもわたり熟議を重ねる。プロセス中に生じた論点は、政治家や専門家にぶつけられる。最終的に投票が行われて決定に至る。
 従来の世論調査や投票は、平等と参加を重視したが、確かに十分な情報が行き渡っていたとは言えない。ICTの活用によって、熟議と参加の両立が果たし得る時代が近づいたのかもしれない。

■熟議のポイント
 熟議の質は下記の5つにより決まるという。
  1情報・・参加者に十分な情報が与えられているか。
  2実質的バランス・・二つの選択肢についてバランスよく情報提供されているか
  3多様性・・マイノリティ含めて様々な立場の意見が含まれているか
  4誠実性・・参加者が異なる意見を真摯に吟味するか
  5考慮の平等・・誰が話したかではなく、内容に応じて意見が吟味されたか
 こうしたポイントに注意して熟議が行われることで、政治的立場や権益を離れ、イメージにも惑わされずに、参加者は意見を整理できるようになるという。

 震災発生して今日で11ヶ月目。未曾有の被害があり、立場を超えて臨むことが復興に求められる。しかし、立場(民間と行政。被災者と支援者。福島と東京)により意見を固めてしまうケースも少なくないように思う。復興の現場にこそ、熟議空間が必要だと考えている。

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2012年02月10日

1410旅 関博満『東日本大震災と地域産業復興』★★★★

「三陸の漁業は素材の良さに気づき、新たな付加価値の高い産業として動き始めていた。また、近年、気仙沼を中心とする三陸の各地に勃興してきた水産加工業は、新たな世界を切り拓いているようにもみえた。この15年ほどの間に、三陸には年商20〜100億円規模の水産加工業が大量に登場していたのである」p3
「三陸には、基本的に前浜の優れた『素材』がある。ベクトルは対照的だが、漁業者も水産加工企業もそこを出発点にしている。そして、発展過程の中で濃密な水産業コンプレックスが形成されていく。その中に身をおくことによって多様な事業展開が可能になっていく。その積み重ねは歴史的な意味を帯び、構造化し、『地域的な雰囲気』を形成していくであろう」p132
「養殖技術、冷蔵・冷凍技術、調理技術、流通部門の進歩、地方での高齢化、学校給食、生協などによる採用といった社会的な環境変化により、特に養殖部門、水産加工部門は飛躍的な進化を遂げてきていた。構造不況産業にみえながらも、実は三陸には際立った発展を示す水産加工企業が大量に登場し、また、小規模ながらも漁師と消費者を直接結びつける新たな取組も開始されていた」p58
「地域の雇用、産業振興を図る上で、自治体と企業とのコミュニケーションは極めて重要である。地域も一つの経営体なのであり、自治体はその責任ある担い手として働き、また、企業は力のある有力な市民として雇用を生み出し、さらに、地域を希望に満ちたものにしていく必要がある」p49
「これからの地域経営にとって市役所の役割は大きなものになっていく。市役所の産業系部門と地域企業、さらに教育機関のコミュニケーションを豊かにし、幅の広い人材育成を重ねていくことが必要であろう」p95

■概要
 地域産業論の大家であり関満博氏による、東日本大震災における地域産業復興のレポート。発災半年目の段階の内容だが、内容は濃密。気仙沼や釜石・大船渡における水産加工業の歴史と、被害の現状、そして復興に向けた課題が、地に足が立った筆致で描かれている。間違いなく、震災産業復興に関わる方は必読だ。

■三陸の水産加工業
 震災復興に関わるまでは、水産業といっても漁師と市場といった貧弱なイメージしかなかった。しかし、近年の冷凍技術や流通市場(給食市場など)の変化に伴い、産業は高度化しているという。原材料は中国・韓国から輸入し、加工後に国内流通へ。また高付加価値化したあわびやフカヒレは東アジアに広く輸出。工場も海外展開し、100億規模の年商を誇る企業はごろごろある。小規模業者も、ネット等を活用した六次産業化に進み始めていた。
 しかし震災によってそうした基盤が消失されたのも確か。地域復興を遂げるためにはそうした水産加工業の復活が鍵となる。

■地方自治体と企業
 産業復興が最も早かったのは、宮古市だという。理由は、震災以前から市役所と地元企業の繋がりが濃く、震災二週間後には、産業振興担当が地元企業回りを始め、県や国を待たずに支援を開始したいという。単純に企業誘致をしても、地元と繋がりがなければ、収益が出なくなった瞬間に再移転してしまう。地域の企業・住民・教育機関などが連携して、産業を生み出すことが、持続的な復興に欠かせない。そのための自治体の役割は大きい。


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2012年02月06日

1407旅 パブリックリソースセンター『NPO実践マネジメント入門』★★★★

「複雑・多様化する社会的課題について、解決を全て"官"に依存するような社会システムは、もはや持続不可能であることは明らかである。NPOや社会事業体が課題解決の主体として期待されるゆえんである。現在、NPOや社会事業体の多くはまだまだ小規模な段階にとどまっているが、社会的期待に応えられるだけの組織力を一刻も早くたかめなければならない」p1
「キャパシティビルディングのポイントは、技術的なノウハウの強化だけでは組織力の強化に十分ではないとの認識に基づき、マネジメント力を確保する基盤としてリーダーシップや適応力(環境変化を観察・評価し、対応する能力のこと)を重視するアプローチである」p79

□概要
 NPO・社会事業のマネジメントに関して体系的に整理された一冊。「ミッション」「ガバナンス」「中期計画」「ファンドレイジング」「人材開発」「財務会計」「広報」「評価」といったテーマで、専門家がアプローチを整理されている。組織診断のための評価シート20ページ分も用意されていて、これだけでも2500円はお買い得。パブリックリソースセンターが編集されていて、2012年1月に改版された。

□キャパシティ・ビルディングの本質とは
 行政を補完するために市町村・コミュニティごとに民間チームがいることが、震災復興の鍵だと考えている。そのための財源や方向性は十分論じられているが、何しろ組織と人が不足している。既存組織のキャパシティビルディング(以下、キャパビル)や、新規組織のインキュベーションが不可欠であって、その観点から読ませて頂いた。キャパビルといえば、単純なPR強化や資金調達の技術的な側面に落ち着きがちだ。
 しかし本質は違うという。優先順位をもって意思決定し、変革を推進するだけの力を組織に有すること。あるいは社会や問題のトレンドを見極め、自ら変化を起こして適応すること。そうした能力と組織を持つことがキャパビルの真髄だという。そうした力を有しているか自団体を見つめ直す必要があるし、復興支援組織をサポートする上で、この目線を持ち続けるべきと改めて感じる。もちろん短期的成果(クイックヒット)も重要だから、支援者を絞り込んで寄付金のアップを図ることも大事であって、ノウハウも本著に入念に描かれている。

□類書との比較
 これから社会事業をスタートされる方には、
1400旅 炭谷俊樹『ゼロからはじめる社会起業』
http://retz.seesaa.net/article/249030041.html
1406旅山本繁『人を助けて仕事を創る』http://retz.seesaa.net/article/250610145.htm
 がおすすめ。事業規模が2000万を越え始めた団体や、そうした団体への支援を行うコンサルタント等には本著がお奨めだ。


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2012年02月03日

1404旅 山崎亮『コミュニティデザイン』★★★★

「この50年間にこの国の無縁社会かはどんどん進んでいる。これはもう、住宅の配置計画で解決できる課題ではない。住宅や公園の物理的なデザインを刷新すれば済むというたぐいの問題ではなくなっている。僕の興味が建築やランドスケープのデザインからコミュニティ、つまり人のつながりのデザインへと移っていったのは、こんな問題意識があったからだ」p20
「公園を持続的に楽しい場所とするためには、詳細にまでこだわる空間のデザインだけでなく、来園者を迎え入れて一緒に楽しむプログラムを提供するコミュニティの存在が重要だと感じるようになった」p36
「3億円あれば、毎年1000万円ずつ使ったとしても30年間使い続けることができる。例えば上限100万円のまちづくり助成金を毎年限定10団体ずつに与えるとしたら年間で1000万円。30年間、いえしま地域のまちづくり活動をサポートすれば、姫路市の中でもいえしま地域は飛び抜けてまちづくり活動が盛んな場所となるだろう」p112
「被災地の道路や住宅はいずれ復旧するだろう。同じ場所にまちをつくるべきかどうかは検討の余地があるものの、ハード整備はそれなりに進むだろう。同時に考えておくべきなのは人のつながりだ。(略)災害が起きた後、仮設住宅を立てるように効率よく人のつながりを構築することはできない。日々のコミュニティ活動が大切なのだ」p251

 町づくりと言えば、以前は「建築物」「ランドスケープ」が中心だった。成熟化・人口減少が進む中、そこに暮らす住民達の繋がりこそ重要となる。そうした視点から、人と人の繋がりを示す「コミュニティ」をデザインすることの大事さを示した一冊。震災によって東北沿岸部のあらゆる施設が破壊され、また復旧が進んでいる。その中で隠れがちなソフトを捉え直すために、読んでみた。まちづくりワークショップや住民参加型総合計画づくりの専門家である山崎亮さん。昨年「情熱大陸」にも出演し話題になった。私も番組をみて、山崎さんの取組みは東北で今必要とされていると直観したものだ。
 山崎さんが注目するのは、プログラムやコミュニティや住民の自主活動。同じ建物でも、10年後に活性化しているか廃れているかは、そうしたソフトが決めるという。最近、ある被災地での公的施設運営の相談を受けた。しかし建築計画はあるものの、誰にどんな価値を提供し、持続可能にするかのソフトへの目線は十分ではなかった。仮設住宅や仮設商店街は続々とできている。しかしそれだけで住民の絆は生まれない。お客さんが訪れるとも限らない。そうした見えない部分での人の流れを生み出すことができるか。復興に向けた大きな課題といえるだろう。



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2012年01月31日

1402旅 大森彌『官のシステム』★★★★

「機関委任事務制度は、地方公共団体の執行機関、特に知事及び市町村長を国の機関に指定し、これに国の事務を委任して執行させる仕組みである。住民や議会の意向とは関係なく、国は事務を画一的に行うよう細かい通達に寄って自治体の首長に命ずることができ、首長は省庁に対して責任を取ることになっていた。これは、まさに官による統治の仕組みである」p177
「公式の会議での『ヒアリング』方式の繰り返しでは、建前論が目立ち、議論がなかなか前進しない。そこで、個別行政分野の機関委任事務の新たな事務への振り分け、国の関与の在り方、権限委譲などについて、実務面での検討などさらに議論を深めるため、委員長から指名された委員・専門医院・参与と関係省庁との間で個別に意見交換と調整作業を行うこととなった。これがグループヒアリングである」p178

 民間からはうかがい知れない、中央官庁の組織と仕事の進め方について、その根底にある風土も含めて、実例を交えながらまとめられた一冊。企業・NPO等民間人が官僚と仕事を共にする事は増えると思われるが、そうした方には必読だろう。若手官僚の読者も多いという。著者は行政学の研究者。
 個人的関心を強めている、地方分権に関連したY章「分権改革と省庁の対応」が個人的に面白い。1999年地方分権一括法が制定。ここで機関委任事務制度がなくなったことで、国と地方の関係は100年ぶりに対等になった。西尾勝氏をはじめとした学者連合交渉団は、オープンな場で議論をしてもまとまらないと判断。省庁別に膝詰めで議論を繰り返し、落とし所を探った。誰と何を議論するのか。順番は。オープンかクローズか。話しの進め方を戦略的に寝る必要があるのだろう。
小林良彰氏による書評は以下。
http://book.asahi.com/review/TKY200611140347.html

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