「1960年代までは繁栄をきわめ、製鉄所の社員が約8000人、釜石市の人口が九万人を超えたこともあった。銭湯に行列ができ、飲み屋はどこも満杯だった。工場際の側溝の上に築かれた『呑ん兵衛横町』には40-50軒の安飲み屋が密集し、工員でごった返していた。(略)もっとも、今回の震災で『呑ん兵衛横町』も津波でごっそり丸ごと持っていかれた」p97
■概要
ラグビーと鉄と漁業の町である釜石市で復興に向けて動き続ける男たちのルポ。著者はラグビー部出身のノンフィクションライター。@リアスNPOサポートセンターの鹿野代表にお世話になっていたこともあり、また雇用関連の調査を進めた事もあり、釜石には4回足を運ばせて頂いている。釜石という地域の過去と未来について、その匂いを感じさせてくれる一冊。
■居酒屋が24時間営業の街
近代製鉄業の発祥の街として、一時期は9万人超が仕事をし暮らしていた。製鉄所は三交代制であり、仕事がおわった工員を受け入れるために、居酒屋は昼夜途切れることなく営業をしていたという。
(@リアスNPOサポートセンターが運営するWEBメディアに掲載されていた2011年2月時点の呑兵衛横丁→
http://cadatte-kamaishi.com/?p=6975
釜石がいつか復興し、現地の関係者の皆さんと楽しくお酒が飲める日が来るために、努力を続けて参ります。