2008年04月18日

216旅 『「間」の極意』 太鼓持あらい ★★

「お客さまに気に入っていただけるようにするにはどうしたらいいか、これはもう練りに練り、考えに考えます。気に入っていただくということは、言いかえれば、お客さまの心にかなうこと。つまり、その人の心にするりと入っていけるようになることではないでしょうか。『ひとの心をつかむには』なんてことを頭の中で考えてみたところで、所詮、人さまのことですから、思い通りにいくわけがありません」pp74-75
太鼓持あらい『「間」の極意』(角川書店, 2001)

 芸者と共に宴席を盛り上げる男芸者を「太鼓持ち」という。江戸期に吉原を中心にひろがったが、国内では数人しかいないという。その一人が、太鼓持ちの歴史と、その仕事から得たコミュニケーションについて書いたのが本著だ。
 人の心をつかむことはできない。時に、かなうことができるだけ。
 経営コンサルタントも、自らを男芸者と呼ぶことがある。確かに、顧客の心をコントロールしようなどと考えたことはない。ただ提言に全力を尽くし、あとは顧客が受けとって頂くかは、まかせているところがある。
 すべての顧客や従業員を「人さま」と考えてみる。そうしてみれば、自分の思い通りに何でも運ぶことはないと気づく。ふと起こる縁の大事さに気づく。

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□参考ウェブサイト
『太鼓持あらい』(HP)

『幇間(太鼓持ち)』

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2008年04月17日

214旅 『本の運命』 井上ひさし ★★

「どんな本でも最初は、丁寧に丁寧に読んでいくんです。最初の十ページくらいはとくに丁寧に、登場人物の名前、関係などをしっかり押さえながら読んでいく。そうすると、自然に速くなるんですね。最初いいかげんに読んでると、いつまでたってもわからないし、速くはならない。でも、本の基本的なことが頭に入ってくると、もう自然に、えっというぐらいに速く読めるようになるんです」p64
井上ひさし『本の運命』(文藝春秋, 2000)

 作家の井上ひさし氏は大変な読書家で、蔵書は13万冊までにのぼり、しまいには求められて図書館まで創ってしまったそうだ。今の夢は、自分流の書斎をつくることなのだが、図書館までゆくのは恐れいる。ちなみに、私は10年前にバーを経営していた事もあって、ライブラリーバーのようなものができたらいいな・・と夢想している。
 本著は井上氏の読書との付き合い方、彼なりの読書十か条が書かれている。
 ゆっくり読むと速く読める、というのは全く同感。一日二冊になってから一か月がたつが、ようやく慣れてきた。はじめは一日一冊もしんどかったので、読んでいる量は3-4倍になったと思う。
 しかし、物理的に文字を読むスピードは変えていないのだ。
 本における「間」「関係」のようなものを理解する力がついてきて、読む文字量は増えないものの、読む読書量は増しているのだと思う。
 物理的なスピードは限界がある。関係を読み取る力は、自分の引き出しが広がれば広がるほどに向上するわけで、こちらにリミットはない。
 読書中毒になってしまうわけである。

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□参考ウェブサイト
『井上ひさし』


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2008年04月16日

213旅 『侏儒の言葉』 芥川龍之介 ★★

「経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりにたよるものである。同時にまた経験をいたずらにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考えずに消化力ばかりにたよるものである」p64
芥川龍之介『侏儒の言葉』(岩波書店, 2003)

 芥川が自殺する二年前まで、『文藝春秋』誌において連載されていたのが本著。自殺や死に関するメッセージも含まれていて、まさに生きることへの葛藤と共に綴られていたようである。芥川はだんだんと短文や詩に傾倒していったようで、本著も警句集のおもむきである。
 「経験」と題する文を引用したが、経験も知識もいずれも重要であるということ。
 私の場合、経験と読書に置き換えて考えてみた。
 以前は、「経験しないと、いくら本読んでも意味なし」あるいは「自分なりに理論を持つべきで、むやみに経験すればよいわけでない」などと考えていた。
 最近は、読めば読むほどに経験したくなるし、経験すればするほどに、その裏側の背景を知りたくなる。
 芥川はたべることも、消化することもストップしてしまった。私はなにか役割がある気がするから、続けている。

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□参考ウェブサイト
『侏儒の言葉』(千夜千冊)

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2008年04月13日

207旅 『親鸞』 笠原一男 ★★

「来世往生のことは、善人も悪人も同様に救われる道を、一生懸命に教えていただきました。その結果、法然上人のおいでになるところには、人が何といおうとも、たとえ地獄へ行くのだといっても、ついて行きます」p47
笠原一男『親鸞』(講談社, 1997)

 今日も親鸞。親鸞と蓮如を研究対象としていた、歴史学者の笠原一男による概要書だ。平安時代までは見つめられていた女人往生が、鎌倉仏教の時代には見つめられなくなったことなどを示したのが主な業績。2006年に他界されている。
 親鸞は、信心決定(仏法に心がさだまること)によって、即座に極楽往生が決まるとする。それはまさに、煩悩に苦しんでいた親鸞が法然との問答をつうじて安らぎを得たことから、説きはじめたのだろう。
 決定されれば、もはや自我は無く、運命のままに動かされる。そうなれば、結果として地獄に行くかどうかは意に介されない。地獄はイヤだ!、といった自我もないのだから。
 ただし、親鸞の決定に対して、運命は厳しいテストを与え続ける。度重なる迫害、越後への流罪、そして可愛いわが子善鸞による背信と、それへの絶縁は、80代の頃だった。
 
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□参考ウェブサイト
『笠原一男』

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2008年04月03日

187旅 『王様の読書術 1冊30分でも必要な知識は吸収できる』 斎藤英治 ★★

「30分で速読した本について、やはり30分で感じたことをまとめる、といった習慣をつけてみてはどうだろうか。週末にまとめてやろうなどと思わず、昨夜呼んだ本について翌朝少し早く起きてまとめてみるのである。それが負担になって速読までやめてしまっては本末転倒なので、最初は低いハードルではじめてみよう。日記形式でもエッセイでもいいし、ブログでもいい。(略)不思議なことに、あなたのアウトプットに対して、さまざまな反応や影響が少しずつでも得られるようになるだろう。これは情報を発信しているから得られるものなのである」p213
斎藤英治『王様の読書術 1冊30分でも必要な知識は吸収できる』(ダイヤモンド社, 2006)

 自分が王様であり、書物は家来。家来とは30分だけ謁見すればよい。その分、大勢の家来(書物)を持つべき、といった本だ。
 自分が王様とは思わないが、読むのに時間がない場合は、こう考える。多忙な偉人である著者と、一時間だけ時間がとれた。一時間過ぎたら偉人は帰ってしまう・・とみなしてミーティングをするかのように読書に取り組む。難解、あるいは厚めの本はそれでは読めない・・と思うかもしれないが、人はなれるもので、3か月ほど一日一冊を続けると、500頁ほどの本でも、手にすることが苦にならなくなる(今は一日二冊にしたので、厚い本をなかなか取れない)。適度な緊迫感が、脳にも刺激を与えるようだ。
 そしてアウトプットについて。このブログは、特定の誰かに向けた内容ではない。強いて言えば、未来の自分に向けてだろうか。私は極めて忘れやすい性格なので、こうして呼びかけないと、本を読んで感じた生々しさが未来に届かない気がするのだ。
 という勝手気ままなブログではあるのだが、読んで下さる人が少しずつ増えていて、毎日300人、月3,000人ぐらいの方が読んでいるようだ。
 読まれている感覚があるから、時間がない中の思索が続いている。読者のお一人お一人に、改めて感謝したい。ありがとうございます。

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□参考ウェブサイト
『速読術』

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2008年03月31日

180旅 『人間通になる読書術・実践編』 谷沢永一 ★★

「本を買うということでお勧めしたいことがあります。それは、一度、数十万円を投じてまとめ買いしてみることです。金額はいくらが適当かは人それぞれですが、今、自動車の免許を取るのに四十万程かかるそうですから、四十万円を一つの目安にしてもいいかもしれません。(略)まとめ買いをするときは漠然といろいろな本を買うのではなく、自分で『これだ!』と思うテーマを定め、それに関係する本を購入するといいでしょう。たとえば、歌舞伎について勉強したいと思ったら、歌舞伎の本を四十万円分いっぺんに買って、それを読んでいく。こうして集中的に投資し、集中的に読書することは本を読む力の向上に役立つと、私のささやかな経験から申し上げることができます」pp241-242
谷沢永一『人間通になる読書術・実践編』(PHP新書, 1999)

 思考法や読書法に関する本がつづく。
 著者は、関西大学の名誉教授をつとめつつも、文芸評論家として知られている。本著の前半戦は、谷沢が感銘をうけた本の紹介。そのあとの本の読み方、買い方、知性とは何か、と続く。
 40万円が目安かはわからないが、集中して本を買い、読みすすめることの効用はあるようだ。思えば、大学四年(7年目だったが)の夏には、ビジネス本を徹底して100冊読みこなした。その結果は、「本を読んでも経営はわからない」という当たり前の結論ではあった。ただ、その後のクライアントワークの中で、自然と経営用語が出てきたのは、その頃の読書が暗黙的に活きたようにも、今は感じる。
 いずれにせよ、楽しく読むのが、読書の秘訣なのだろう。こう書くと当たり前すぎるようだが、論語が2,000年前から忠告しているのである。

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□参考ウェブサイト
『谷沢永一』

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2008年03月26日

170旅 『人生を変える読書』 武田修志 ★★

『私は、かつては大学生として、のちには大学教師として、本はたくさん読むが、人間としては全く尊敬するに値しない人々をあまりにたくさん身近に見てきました。自分自身、読書を通して人間としてどれだけ成長、成熟したのか、はなはだ疑問です。そういう意味では、読書というものを、ひょっとすると、誰よりも深く疑っている者かもしれません。(略)読書は、いわば自分の魂の部分によって行い、それが一つの体験と言えるものにならなければ、得られるものは精神の脱け殻のような知識だけであり、それは無用のアクセサリーのごとく、人を醜くするばかりだということです』p6
武田修志『人生を変える読書』(PHP出版, 2001)

 鳥取大助教授の著者が、読書がいかに人生へ影響を与えたかを語った本。その時々の心情をありのままに伝えているように見えて、共感をおぼえた。
 魂の部分による読書とは何か?
 日々全うする自分の役割と、ダイレクトにつながった読書のことのように思う。
 自分の場合は、縁あって役員としてかかわる企業経営であったり、あるいはコンサルティングの現場がある。そこには濃密な人間の関わりがあり、読書での気づきとの重なりをしばしば感じる。
 本について仲間と語り合うことや、ブログで書くことも役割と言えるかもしれない。何かしら人と響きあい、影響を与え与えられあえるからだ。
 自分と他人の魂を揺さぶり続けてこそ、価値ある読書につながるように思える。

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□参考ウェブサイト
『読書』

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2008年02月20日

126旅 『生きるのがつらい。』諸富祥彦 ★★

「『人は結局、どこからも来ないし、どこへも行かない』ということが、わかったこと。私たち人間は、この『見える世界(この世)』で生き、感じ、ものを考えて生きていると思っているけれど、じつは同時に、今もすでに『見えない世界(あの世)』にもいて、しかも生まれる前からずっとそこにいて、死んだあとも(遠いところに行くのではなく)そこにとどまるのだということ。ひとことで言うと、『わざわざ死ななくても、人間は、生きているうちから、じつは同時に、死の向こう側の世界(あの世)にもいるのだ』ということ。このことに気づいたとき、私は『生きていける』と確信を持てたのでした」pp227-228
諸富祥彦『生きるのがつらい。』(平凡社, 2005)

 現代日本における死は、ネイティブ・インディアンとは異なる。インディアンは自然との闘いがあったのに対し、現代では自然は制圧された。共同体の生活はなくなり、個人は自由に生きられる。現れるのは、「孤独」との闘いである。
 諸富氏による本著は、孤独との闘いに疲れ、生きるのがつらい現代を読み解く一冊だ。彼があとがきに記したのは、インディアンの言葉とちかい。
 一瞬=一生を生き抜くために必要な思想は何か。
 所詮、自分とは時間と空間をこえた全ての部分にしか過ぎないと気づくこと。にも関わらず、なぜ一瞬の生を受けているのか。その役割に至ったときに、生を全うする心がうごく。

2/19現在12位。励みになります。⇒書評ブログランキングへ投票する(1日1票、週で集計)

□参考ウェブサイト
『諸富祥彦』

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2008年02月08日

114旅 『キラー・リーディング』中島孝志 ★★

「情報は必ずどこかでつながっている。だから、マネジメント書やビジネス書だけが仕事の秘訣を教えてくれるとは限らないのである。科学や文化、歴史、哲学、宗教、美術等々、一見するとあなたの仕事にまるで関係のない読書、あなたとは接点すらない読書であっても、意外や意外(でもないが)、仕事のヒントになったり、あなたの生き方に多大なる影響を与えてしまうことだって、往々にしてある。(略)読書という作業はその人が真剣にテーマ=問題意識に立ち向かっていればいるほど、予期せぬ副産物をプレゼントしてくれるものなのだ」pp31-32
中島孝志『キラー・リーディング』(実業之日本社, 2007)

 今日は研修講師として、問題解決のステップをレクチャーしてきた。20代の方を対象とすると、その吸収力に目を見張ることになる。一日の研修の間でも、前後の雰囲気の変化がありありと分かる。
 思うに、「自分は分からない」と強く感じているからこそ、逆効果として「分かる」のだろう。年齢を重ねると分かった気になっている。結果として、新しく分かることは少なくなる。
 読書にも、同じことが言える。得意なテーマばかり読むと、なぜか気づきの箇所が少ない。大よそ知っていることばかりだから?そんな筈はない。まだまだ、まだまだ学ぶ事はある。なのに、気づけなくなる。もどかしい。見知らぬテーマを選ぶ。すると脳は、確かに活性化する。
 しかし、全てから、深遠なる何かを知りえるはずなのだ。たった今聞こえた、風の音から、何かを自分は見出したい。

2/7現在18位。励みになります。⇒書評ブログランキングへ投票する(1日1票、週で集計)

□参考ウェブサイト
『中島孝志のキーマンネットワーク』

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2008年02月05日

111旅 『絶対感動本50』斉藤孝 ★★

「人間は年齢にかかわらずその器を大きくしていくことができると、私は考えています。そして読書体験はそのために非常に役立ってくれるものなのです。たとえば、ドストエフスキーが『罪と罰』で描く人物たちは、みなクセが強く、実生活では受け入れがたい人々です。けれどもこの作品を読んでいくうちに、登場人物は確実に心のなかで息づいてきます。自分の心に異質な人物が住みついてきたなら、それは心が広がってきた証拠です。読書とは、今ある自分とはまったく異なる性質の人間を心のなかに住まわせることであり、その分だけ、自分の器を大きくしてくれるものなのです」
斉藤孝『絶対感動本50』(マガジンハウス、2003)

 書くことが、自分の中の無意識/暗黙知に気づいていくためのプロセスだとする。では、読むこととは、何だろう。来週から読書会を開いていくのだが、先立って、読書そのものに関する本を数冊読んでいきたい。
 斉藤孝は「自分の心に異質な人物が住みつく」とする。自分自身を見つめなおしても、4ヶ月近く毎日本を読んでいるが、一ヶ月に一回は、自分を揺るがす本と出会う(出現する未来であり、神話の力であり、無境界である)。すると、その本を読む前の自分と今の自分は、違った存在のように思える。
 読むことにより、他界された賢人たちの考えに触れることができる。さらに言えば、考えを自分に取り込み、それにより自分を変化させることができる。
 本は、固めてしまった自分を溶かし、ふたたび世界とつなげてくための道具になれるのだ。

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□参考ウェブサイト
『斉藤孝』

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2008年01月24日

99旅 『ガリレオ』田中一郎 ★★

「ガリレオからニュートンにいたるまでの自然の研究の結果、自然は天地創造の六日間を別とすれば、法則以外の何ものにも支配されないということが示されたのである。神の啓示を伝えるために遣わされると考えられていた彗星ですら、地上の物体と同じ法則に従っているとわかったのである。つまり、近代科学が成立したことで、人びとは天上と地上がひとつの世界を形作っており、同じ法則によって支配されていることを知ったのである。
自然についての考え方が変わっただけでなく、神についての考え方も変わらざるをえなかった。神は、彼が造った世界の規則正しさ、つまり合法則性を通して自らの偉大さを示していると考えられるようになったのである。もし奇蹟のような規則はずれの現象が起こるとすれば、それは神の偉大さにふさわしくないだろう」p4
田中一郎『ガリレオ』〈中公新書, 1995〉

 ウィルバーは、非合理であるだけで神聖としたニューエイジ運動の退行を非難した。ガリレオも同様に、非合理で神聖だった時代に立ち向かったが、大変な戦いになった。世界中を敵に回したのだから。
 ガリレオが世界に与えた影響とは何だったのだろう。
 奇蹟ではなく、法則性こそが神の役割となったこと。この瞬間から、自然は畏れの対象から分析の対象になったのだろう。
 ただし人類はここに留まらない。主客分離を果たした心は再びひとつになる。私は、私ならずして、私となる。

□参考ウェブサイト
『ガリレオ・ガリレイ』

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2008年01月04日

78旅 『読書力』斉藤孝 ★★

「私は大学時代、神秘主義的な団体を調査したことがある。入信している人たちは決まって、あるところで思考停止をしていた。絶対的な価値観を一つ受け入れ、他を否定する思考パターンに陥っていた。読書の幅も限られていて、自分たちの教義に合致するものが選ばれ推奨された。それと食い違う場合には、憎むべき悪書として攻撃していた。(略)矛盾しあう複雑なものを心の中に共存させること。読書で培われるのは、この複雑さの共存だ。自己が一枚岩ならば壊れやすい。しかし、複雑さを共存させながら、徐々にらせん状にレベルアップしていく。それは、強靭な自己となる」pp51-52
「なぜこの著書はこんなにも自分と同じような感覚を持っているのだろうか、あるいは、まさにこれは自分が書いたもののようだと感じることさえ、私の場合あった。自分の経験と著者の経験、自分の脳と著者の脳とが混じり合ってしまう感覚。これが、読書の醍醐味だ」pp86-87
斉藤孝『読書力』(岩波書店, 2002)

 以前住んでいた頃になかったマリアージュ・フレールが新宿に出来ていた。普段珈琲ばかり飲むのだが、ここの紅茶は好きだ。厚い雰囲気ある本が渡されるのだが、それは物語つきのメニューなのだ。古今東西の「茶」を旅することができる。
 同じように旅ができるのが、読書だろう。斉藤孝は、読書への熱き想いと少しのテクニックをこの本で紹介してくれる。
 私にとっての読書は、境界を超えていくための手段だ。組織に属す部分である自分は、考えを組織に合わせてしまう。しかし本と向き合う時は一人である。読書する全体である自分は、時間空間をこえて著者と向き合い、つながっていく。

□参考ウェブサイト
『斉藤孝』


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2007年12月26日

69旅 『生きることと考えること』森有正 ★★

「自分の感覚と、自分の理性と、また自分の意思と、そういうふうなものをできるだけ働かせて、そうして自分の考えというものを築き上げていく――一つの経験として与えられたものを素材として築き上げていく。それを養うために先生にも教わるし、友だちとも交わるし、またいろいろな過去の人間がつくりあげたもの、それが造形芸術品であっても、文学であっても、そういうもので絶えず自分を養いながら、自分の考えをだんだん深め正確なものにしていく」p215
「人から聞いたことが、一応話のつじつまが合えば、そのままそれで自分の知識になってしまうのでしょう。自分で見たかどうかということが問題ではなくて、そこにあるのは、要するにつじつまが合うかどうかということだけということになります。これは非常に危うい。つじつまなどいつでも合わせることができる」p192
森有正『生きることと考えること』(講談社,1970)


 森氏は、考えることが生きることに繋がるという。ここでいう考えるとは、論理的思考(つじつま合わせ)とは違う。
 殺人事件をみると、「この人は異常な行動をとっていたから、事件をおこした」のだと、コメンテーターの言葉を信じてしまう。ここには経験はなく、納得しやすい論理(つじつま、あるいはロジック)しかない。
 森氏は、経験を積み重ねながら、理由ではなく意味合いを探っていくことを説いている。万人共通の理由ではなく、個人としての神話を持つことに近いと言えないか。



□参考ウェブサイト
『森有正』
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2007年11月21日

34旅 ロンダ・バーン『ザ・シークレット』★★

「今、未来について抱いているあなたの思考があなたの未来の人生を創造します。あなたが一番思っている事、最も焦点を合わせていることが、あなたのこれからの人生に形となって現れます」p50
「競争とは分かち合う恩恵が限られていて、十分にない、不足しているという精神的な恐れから生まれます。みんなと分かち合うほど十分にない、だから、競争してものを獲得しなければならないとあなたは言っているのです。競争する過程で、『引き寄せの法則』が働き、あなたは沢山の競争者や競争する状況を引き寄せてしまいます」p260
ロンダ・バーン『ザ・シークレット』(角川書店, 2007)
「世界はさまざまな形で存在できるーーいずれも描写、とりわけ集団での描写に存在がかかっている。『世界』を一人で作ることは不可能だ。そこで集団による描写が鍵となる。たった一人の人間が描写を変えただけでは十分と言えない。それが悪いわけではないが、真の意味での変化とは、集団的描写が変わることだろう」p136
デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』(英治出版, 2007)

 最近「引き寄せの法則」が流行っているそうです。引き寄せられて?当著とヒックス夫妻の本を購入したので紹介します。「思考は実現する」とのコンセプトが法則だとし、様々な実例をまとめた本。下の映像をご覧になり、興味を覚えた方は本を購入しても良いでしょう。私も内なる声(神)との対話が社会を変えていくと考えていますから、気になる本ではあります。
 面白いのは「お金が手に入った」「豪邸が手に入った」といった即物的な話が多いこと。アマゾンのレビューを見ても、安易な自己実現に惹かれて購入した人が多い。また、その点に否定的なレビューもあります。実際、自分勝手に「引き寄せの法則」を使っても成果が出づらい。集団的に「引き寄せの法則」を使ってボームの言う集団的描写にならないと、現実になりにくいものです。
 あるいは、気づきのために、本著は敢えて「個人の欲望」向けに使うことを薦めているのかもしれません。



□関連ウェブサイト
「シークレット」

シークレット.jpg
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2007年11月15日

29旅 厚東洋輔『モダニティの社会学』★★

「伝統社会では、人間は世界の中に包み込まれて生活していた。私たちは始め、母親の胎内で棲息し保護された存在であったように。科学は、こうした人間と世界との親しい共生関係を断ち切る。世界は、原因と結果の巨大な連鎖とみなされ、世界から『意味』が奪い去られる。世界は、あたかも機械のように、人々の願いや憧れと無関係な、自立し・よそよそしい存在となる。世界と人間は、融和することなく相互に対立しあう」p78
厚東洋輔『モダニティの社会学』(ミネルヴァ書房, 2006)
「思考は科学やテクノロジーを作り出し、医学の分野で並外れた創造性を発揮した。(中略)しかし、なぜか思考は過ちも犯し、破壊を生み出している。これは考え方の一種、すなわち「断片化」が原因である。断片化のせいで、事物はあたかもここに存在するかのように、小片に分割されてしまう。ただ分断されるだけでなく、実際には分かれていないものまでばらばらにされるのだ」p117
デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』(英治出版, 2007)


 科学は、客観的な事実のつみあげにより、ものごとの本質へ迫っている印象があります。かたや、科学的な主観が断絶を引き起こしている事実。
 客観と主観。科学と哲学。伝統と近代。分けて考えることに慣れきったのが我々世代。会社においても、自分と同僚を分けて競争する。あるいは自分と会社を分けて、自己実現と会社の利益が相反すると考えてしまう。
 いかに統合を図るか。組織をまとめるためにも、社会を動かしていくためにも、向き合うべき課題になるのでしょう。

モダニティの社会学.jpg
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